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真の教養とは 【ヘルマン・ヘッセ「世界文学をどう読むか」】

真の教養とは、なんらかの目的のための教養ではない。それは、完全なものを目指す全ての努力と同様に、それ自身のうちにその意味を持っている。

ヘルマン・ヘッセ「世界文学をどう読むか」石丸静推訳・角川文庫(昭和48年)より

「車輪の下」で有名なノーベル文学賞作家ヘルマン・ヘッセの言葉です。
(「車輪の下」は、2018年渋谷学園渋谷中学校の入試で出題されています。)

受験という合格目的のための学習と対極にあるのが、目的の無い「真の教養」と言えるかもしれません。
ところが、この二つは、意外にも一致する場合が多いです。
自分の学生時代を思い返しても、一番本を読むことができたのは大学受験の時でした。
やらなければならない試験勉強が目前にある時ほど、受験以外の本が読みたくなることは、誰しも経験していることでしょう。
このような一種の現実逃避とも言える読書が、意外にも豊かな精神性を養い、深い人間性を育んでくれることを、一つの体験として持っている人は少なくないはずです。

自分が、中学入試の指導をするようになってからも、同じような経験をしたことがあります。
中学入試の過去問を分析している時に特に感じるのですが、入試で扱われる文章が、素晴らしい読み物ばかりであることに驚きます。
どの中学も、先生方が真剣に考えて本を選定し、入試問題を作成しているのでしょう。
素材として採用されている本や論文も、名著や名作ばかりが選ばれており、問いの内容もよく練られています。
受験の対策を立てるために読んでいたはずの問題文から、学べることが非常に多いのです。
入試という「目的」のある学習指導の中でも、それに長い年月携わっているうちに、真の知性や教養が磨かれていることが、自身の経験からも実感することができます。
生徒を教えているようでいて、自分自身が一番教えられていると言うのが本当のところです。
これこそ、人生の妙味と言えるでしょう。

そのような時に思い出すのは、子供のころ愛読していた下村湖人の「次郎物語」の一節です。
正義感の強い次郎は、自分がおかしいと感じたことに対しては、頑として自分を曲げないため、トラブルばかり起こしていました。優しい性格であった兄の恭一は、いつもハラハラしながら、そんな次郎を見守っています。
そんな二人の前に、大沢先輩が現れます。
彼はスケールが大きく寛大な性格で、親分肌の上級生でした。
大沢先輩が、次郎と恭一を旅行に誘う場面があります。
その旅は、「無計画の計画」と呼べるものでした。

人間が頭でやった計画なんてものは、もっと大きな力、自然というか、神というか、そうした大きな力の発動に、あるきっかけを与えるに過ぎないんだ。それを忘れて傲慢になっちゃあ、いかんと思うね。

下村湖人著「次郎物語」より

大沢先輩が言っているように、計画通りに運ぶ人生では、全く面白くないでしょう。
どんなに綿密な計画を立てて、目的達成のための努力をしていたとしても、明日どうなるかは、誰にも分かりません。
いかなる時代や状況になったとしても、自信と誇りをもって、前向きに雄々しく逞しく生きていくことが出来なければ、「真に教養がある」とは言えないでしょう。
「無計画の計画」
「無目的の目的」
「無用の用」
このような何時いつ役に立つかわからないような知識や教養が、人生の中で、本当に頼りになる本質的な「真の教養」であることを忘れてはいけないのです。


タイトル画像:The Long Room of the Old Library at Trinity College Dublin.

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