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早稲田の古文 夏期集中講座 第15回「建礼門院右京大夫集」Part1

早稲田の教育学部で2020年、『建礼門院右京大夫集』が出題されました。Z会の「最強の古文」によると、十三世紀初頭、1232年頃の成立とされ、第八十代高倉天皇の中宮建礼門院(平清盛の二女徳子)に仕えた頃から、平家滅亡、藤原俊成(定家の父)が後鳥羽院から九十歳の祝賀を1203年賜る鎌倉初期までの約30年間の作歌を集めた歌集です。(同書解答解説P117)

 物語のクライマックスは恋人平資盛(すけもり)との最後の別れと資盛の死の悲報・思い出の手紙と回想シーンといったところでしょう。「最強の古文」のテキストでは、平資盛との最後の別れの場面を取り上げています。(問題文P119 )

「かかる世のさわぎになりぬれば、はかなき数にならむことは、疑ひなきことなり。(こういう世の騒動になったから自分が亡き人の数にはいるであろう)さらば、さすがに露ばかりのあはれはかけてむや。(そうなったら、少しばかりの憐憫をかけてください)たとひ何とも思はずとも、かように聞こえなれても、とし月といふばかりになりぬるなさけに道の光もかならず思ひやれ。(仮に何も思わなかったとしても、このように親しくなって長い年月をすごした訳ですから、せめても情けに後世のとぶらいを必ずおねがいします)また、もし命たとひ今しばしなどありともすべて今は、心を昔の身とは思わじと思ひしたためてなむある。(もし命がもうしばらくあったとしても、今は、心の中で身は生きているものとは思はないと心の準備をしておいていくつもりです)

この後は平家一門の都落ちを筆者は「夢のうちの夢を聞きし心ち」であるとし、「仏に向かひたてまつりて泣き暮らすほかのことなし」という有様だったようです。終わりに、
 

またためし たぐひも知らぬ憂きことを 見てもさてある 身ぞうとましき

 
という歌で終わっています。つらいことがあっても出家もできず、死にもしないでいる自分がつくづく嫌になったということでしょう。

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