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中学入試の生物 どう教えるかその語源

 最近、「トコトンやさしい微生物の本」(中島春紫著 日刊工業新聞社)という本を買いました。結核の特効薬であるストレプトマイシンと言う抗生物質は土の中に住む放線菌と言う細菌から取るという話がはっきり書いてある文献が欲しかったからです。

図書館に置いてある、いわゆる「専門書」は細かい放線菌の分類は載っていても放線菌が土の中に住んでいるとはっきり書いてある文言は見つかりません。

 我々は記憶が正しいかどうか確認のために文献を探すのですが、言わゆる「専門書」は、受験指導のための根拠としては使えないなと感じることが多いです。

「専門書」に「証拠」を求めても「専門書」は「証拠」になりにくいのです。むしろこのような「一般書」の方が「証拠」になります。

「トコトンやさしい微生物の本」の著書である中島春紫(はるし)氏は東京大学の博士課程を修了し、明治大学の教授をなさっている立派な「専門家」です。

いわゆる「専門家」はこのような「一般書」「実用書」を書くのを避ける傾向にある、と言います。

同じようなことは文学の専門家からも聞いたことがあります。「一般書」をいくら書いても言わゆる「学会」で「業績」にはならないらしいのです。

だから外国文学の研究者が外国文学の翻訳本を出版してもそれが研究業績にならないそうです。それでも心ある研究者たちは外国文学の翻訳に力を入れています。

それが自分の研究分野の普及に役立つことがよくわかっているからです。後進の指導のため、研究業績にならない翻訳にも力を注ぐ研究者は良心的な「専門家」と言えるでしょう。

 「分類学」と言うものは、どこか、マニアックな感じがします。あまり、我々一般人の生活には関係ありません。おそらく研究者の書く研究論文は我々一般人が一生読まないものでしょう。

しかし、このような専門的研究論文の積み重ねによって、我々一般人に必要な「一般書」と言うものが書けるのでしょう。

基礎研究と言うのは、すぐ役に立たない、すぐお金にならないものばかりだからです。

 私は大学で憲法学を専攻した文系の人間ですが、生物学には深い愛着と尊敬の念を持っています。それは子供の頃シートン動物記やドリトル先生を愛読したからでしょう。大学生になってもムツゴロウの「畑正憲」氏の著作はほとんど全部読破しました。

ムツゴロウ先生は今年2021年で85歳のご高齢ですがまだ現役でテレビに出て活躍されている姿を見ると元気でいてほしいとつくづく思います。

 中学入試で生物や地学を教えられるのもその経験があるからです。子供の頃に読んだ本と言うのは、一生を左右します。それは人生の深いところで魂を形成するからです。それがその人の個性とキャラクターを作るのでしょう。

教育とはこの魂から発する部分がないと成立しません。読書体験を伴わない頭だけの知識では子供は納得しません。嘘はすぐばれるのです。子供はある意味、このような嘘を見抜く超能力者なのです。

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