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人間の知性は常に一面的である  【J・S・ミル著『自由論』】

人間の知性は、
いつでも一面的であるのが通例で、
多面的であるのは例外だ。

J・S・ミル著『自由論』関口正司訳(岩波文庫)

ここでミルは、世間一般で支配的な意見オピニオンは、真理の一部分でしかなく、一面的であることが極めて多いと主張しています。
民主的意見は多数決原理ですから、少数意見は排除されます。

異端的な意見の方は、概して、抑圧され無視されている真理のうちのどれかであり、それが自分に加えられている束縛を打ち破って出てくる。
こういう真理は、世間一般の意見に含まれている真理と横並びで認められることを求めるか、あるいは、一般的な意見(支配的多数者の意見)を敵とみなして対決しながら、同じように排他的な形で自らを真理全体と言い張る。

J・S・ミル著『自由論』関口正司訳(岩波文庫)

いわゆる「多数者の専制the tyranny of the majority」によって、少数意見を抑圧し束縛しても、いつかそれを打破し表面化してくるため、無視できない存在になることを指しています。

人は少数者であれ、多数者であれ、真理の一面であるにも関わらず、全体的真理であるかのように、排他的自己主張をなすものだ、と言っているのです。
誰もが、時代の移り変わりによって「進歩する」というように考えがちです。
しかしながら、「それは部分的真理の移り変わりにすぎない」とミルは言います。つまり、「一面性」そのものには進化が無いことを指摘しているのです。

以前からの真理に新たな真理が加わることであるはずの進歩ですら、ほとんどの場合は、部分的で不完全な真理が、別の部分的で不完全な真理に入れ替わることにしかなっていない。
向上したと言っても、たいていは、真理の新しい断片によって退場させられる真理の断片に比べると、新しい断片の方は、需要が多くて時代の必要に適合している、ということでしかない。

J・S・ミル著『自由論』関口正司訳(岩波文庫)

ビジネスや先端科学の世界では、特にこのような現象が顕著であるかもしれません。
「時代のパラダイムを転換した」
「世界のビリオネアのトップ10に入った」など、
まるでそれが永遠不滅の全面的真理を得たかのような物言いをしているケースをしばしば見かけます。
たまたま現代の流行的なニーズにあっただけのものなのか、そうでない普遍的なものなのかは、ずっと後になってみなければわかりません。
時流に乗り、莫大な資産を築いたとしても、それだけで評価されることはないでしょう。
その築き上げた資産をいかに活用し、社会に貢献したのかが問題となってくるからです。
ジョン・ロックフェラーは、世界一の大富豪として、その名を知られていましたが、世界一の慈善事業家でもありました。
最近亡くなられた京セラの稲盛さんも、創設当時200億円相当の個人資産を投じて、「人類の科学の発展、文明の発展、又精神的な深化、高揚の面に著しく貢献した人々」に対し、「人類の進歩、発展にいささかでも貢献したい」という願いを込めて、『京都賞』という国際賞を創設しました。
このように歴史に名を残すほどの功績をあげた人は、一様に「利他的行動」をしています。
金儲けの能力は、人がもつ知性のほんの一面にしか過ぎません。
そのお金をどう使うかが問題なのであって、儲けるだけが全てではないのです。
利己的な拝金主義で終わっていては、金の亡者としか呼ばれないでしょう。
それでは、あまりにも人としての品性と品格が欠落していると言わざるを得ません。
何でも数値に換算し、データと統計に頼りながら、利益を上げているだけで満足していては、とても「知性の全体」を把握したとは言えません。
扱うデータがいかに巨大になったとしても、それだけでは永遠に「知性の一面」に過ぎないことを認識する必要があるでしょう。
しかし、これを知性の全体と考えることこそが「排他的自己主張」であり、それは、人がもつ不完全な独善性を表すものであることを肝に銘じておくと良いかもしれません。
人は、いかなる時も謙虚に物事を見て、多面的に考えていくことが求められているのです。



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