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「演劇入門 生きることは演じること」国語 スマホの問題点について 中学入試最前線

11月14日、大手の塾の公開テストで、鴻上尚史こうがみしょうじさんの「演劇入門 生きることは演じること」(集英社)が出題されました。
 その中で著者は、スマホの問題点について論じています。一般的に、スマホは「承認欲求を肥大」させ、「情報の蛸壺化」をもたらすとした上で、演劇的には「人間速度の誤解」が一番の問題だ、としています。「思考のように身体はかわらない、ワンクリックで風景はかわらない」と述べているのです。

 なんでもかんでも高速化し、「早ければよい」とする現代の風潮は人間性を無視していると言えるのではないでしょうか。
 すぐに結果がわかる、すぐに結論が出るという思考の短絡化は、人間の機械化に他なりません。
 街を走る車や自転車のスピードも、以前よりも早くなっているような気がします。歩行者を押しのけるように、歩道を高速で走って行く自転車の姿をよく見かけます。まるでゆっくり歩いている方が悪いのだと言っているかのような傍若無人な走り方です。

 演劇の世界では、「俳優が成長するためには時間がかかる」としています。演劇とは「身体の速度」であることから、「より親密に」「より着実に」という価値観であって、「より速く正確に」という価値観ではない、というのです。

 筆者は、スマホは「記号化された人間を濃密化し、等身大の生身の人間を希薄化する」としています。
 それは、人間をデジタル信号として処理することで、作業の対象に貶めることを意味しています。一人の人間を、意思と主体性と人格をもって生きる「独立の存在」ではなく、ワンタッチで消去できるデジタル信号として扱っているのです。記号化された人間には、意思も主体性も独立の人格も存在しません。
 筆者は「等身大の生身の人間」を復活するためには、演劇が一番効果的だと述べています。生身の人間の感情の爆発、これを体験できるのが演劇であり、喜びも悲しみも極めて人間的感情だからです。

 とくに人間として大事な感情は悲しみでしょう。悲哀というものは極めて人間的なものです。ところが、現代人は悲しみを避けて、喜びや楽しみばかり追い求めてしまいます。悲しみは、ネガティブなものとして消去してしまう傾向があるのです。

 文学の世界では、人を感動させるのは簡単だといいます。難しいのは、人を笑わせる喜劇で、最高に難しいのは悲劇だと言います。
 シェークスピアでも、ギリシアの古典劇でも、名作と呼ばれるものは悲劇です。
 ソポクレスの「オイディプス王・アンディゴネ」もそうですし、シェークスピアの「オセロ」「マクベス」「リア王」もそうです。
 中学受験をする小学生たちには、このような演劇の素晴らしさを理解して欲しいと思っています。


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