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早稲田の古文 夏期集中講座 第33回 『増鏡』の女性達② 二院の母 大宮院

 後深草院・亀山院の両院の生母である大宮院に対して『増鏡』の作者は賞賛を惜しみません。

 「大方(おほかた)、この大宮院の御宿世(すくせ)、いとありがたくおはします。すべていにしえより今まで、后・国母(こくも)多く過ぎ給ひぬれど、かくばかりとり集め、いみじきためしはいまだ聞き及び侍らず。御位のはじめより選ばれ参り給ひて、争ひきしろふ人もなく、三千の寵愛ひとりにをさめ給ふ。両院うち続き出で給へりし、いづれも平らかに、思ひの如く、二代の国母(こくも)にて、今はすでに御孫(むまご)の位をさへ見給ふまで、いささかも御心にあはず思(おぼ)しむすぼるる一(ひと)ふしもなく、めでたくおはしますさま、来し方(きしかた)もたぐひなく、行末にも稀(まれ)にやあらん」(『増鏡』(中)井上宗雄全訳注 講談社学術文庫)

(訳)だいたい、この大宮院の御果報は、たいそう得難い(結構な)ものである。すべて昔から今まで皇后や国母はつぎつぎと多くおられたが、この大宮院ほどたくさんの幸いを一身に集めためでたい例は、まだ聞いたことがないのである。後嵯峨院の御在位のはじめから選ばれ入内されて、対抗して御寵愛を争う人もなく、君寵を一身にお集めになる。後深草・亀山両院が続いてお生まれになって、どちらの方も平らかに、何の支障もなく皇位に即(つ)かれ、二代の天皇の母で、今はすでに御孫の御在位をも御覧になるまで、すこしも御心に合わず、御不満になられる一事もなく、結構な状態でいられる様子は、過去にも類がなく、将来もまれなことであろう。(井上宗雄訳 学術文庫)

「とはずがたり」の作者である後深草二条は手放しでほめている訳ではありません。「何ごとも心おかず、われにこそ」など情けあるさまに承るも、いつまで草のとのみおぼゆ」(『とはずがたり』三前斎宮帰京、院大宮院に作者を語るより)「何ごとも心おきなくわたしに相談なさい」とお情け深い様子にお言葉があるにつけても、このような御好意も、ほんとうにいつまで続くことやらと思う」(学術文庫『とはずがたり』(上)次田香澄訳注)

 どうやらこの時代、後深草院と大宮院の関係は険悪だったようです。父の後嵯峨院が弟の亀山上皇を溺愛し、後継者を亀山上皇方に指名するような事態が生じていたので、間に入って大宮院が関係修復をはかって色々と画策していたようです。

次田香澄さんの解説によれば「院と大宮院との感情的なわだかまりを解こうとして、両者が斎宮(後深草院の異母妹)や側近たちを緩衝帯として、游宴を催すということである。母大宮院が務めて融和をはかろうとしている姿が活写されている」とあります(同書P235)

 大宮院の父は名門西園寺家の実氏(さねうじ)ですから、西園寺家の有利になるよう、後深草院には妹の東二条院を正妃とし、弟の亀山院の後継者、後宇多院の正妃には東二条院の娘、遊義門を皇后として、どちらにころんでも良いようにしているのは明らかです。

西園寺家の思惑が見え隠れしているのでしょう。後深草二条は簡単に信用していないようです。「増鏡」の賛辞も何かの思惑があるようです。

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