闘病記その3

「僕は大人が大嫌いだ。経験を持ってでしか私たちに対しての言葉がない。今の私たちに対して投げかける言葉を持たない大人たちが。」

彼彼女らの人生がどうした。憂鬱なんて概念がそもそもないのだろう。仕事の素晴らしさを悠々と語る彼らの目に私は何も感じることはできない。ただその凝り固まったまとわりついた思考に飲み込まれそうになるばかりだ。生きるのさえ面倒だ。せいぜい食事排泄睡眠に時間を費やしたところで目の前にはまだまだ空白のページが。これをどう埋めていこう。しかし明日はまた月曜日だ。なにも考える必要はない。与えられたタスクをこなすだけだ。こんな事で時間を過ごしていいのか。しかし1人では与えられた時間の渦に飲み込まれていくばかりだ。まるで操り人形。幼少期に形成されるべきものがなされなかったのか。そういう過去のせいにしてみるがしかし戻ることはできない。今日も身体はあちこちへ。唯一の救いは言葉だ。私の生み出す言葉が数時間後には過去の誰かの言葉に変化する。この怒りは過去よりは落ち着いているだろう。言葉は憂鬱を肯定する。何とでも言えてしまう。感じてしまう鬱陶しさを言葉で構築する。己の理解困難な様々な事に対して立ち向かっていくために。今私は完全に分裂している。現状に我慢ならない彼と世間の波に流されるままの彼とに。

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