見出し画像

闘病記その5

不安な感情が煮つまってきた。世界はそんなこと知るはずもなくめまぐるしく動いている。世界は止まることを知らないようだ。それぞれが皆、それぞれの人生を歩んでいるから。そうして、それぞれの人々が生きている事実によって世界はまるで進んでいるかのように感じてしまう。
車や飛行機、電車やバスはわたしの意思の外で動いているだけだ。それがどうした。ただそれだけだ。不安な日々があまりにも続いたせいで世の中の動きを知る意欲など湧かない。みんな、勝手にやっている。それぞれが見出した道を歩んでいる。そこに優劣はない。世界を変える、大々的な変化も点からはじまり、やがてそこに群がる蟻ようにして膨らんでゆく。やがて消費される。
この認識で生きるのは危険だ。そう自分自身で感じている。しかし、なにせ生きる希望を沸かせることができない。縋り付く神話は既に崩壊している。宗教もなければ拠り所もない。
ある場所とある場所で結びつく。2つの地点で結ばれた空間で消費する日々。ほとんどの時間は座っている。身体を使う作業は伴わないからだ。いくらかは会話をする。ほとんどが同じような体験だ。繰り返すだけの日々。目に映る物事、耳に入る音、交わされるコミュニケーションに緩急はない。そのようにしてある一つの身体性がつくられる。わたしはこれを疑う。この己自身に降りかかる災難と言ってもいい心の病。全ては身体性にあるのだ。その時々で変わろうとする自己を押さえつけるもう一つの自己がここにある。
今はここまでわかってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?