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創るということ

演奏会を創るということや、何か作品を生み出すことは、ある種自分の身を削ってちぎって投げているのにも近い時があって、そこまでして初めて達成感があるというか、見られる景色があると思っているのです。


大きな演奏会が終わりました。onyoroです。半年ぐらいかけて、寝る間も惜しんで準備や練習をした演奏会。
それだけ長い期間、ただ1日の本番の日を目指して練習してきたのだから、終わった今思うのは、「もうあれ以上のものは作れない」という正直な気持ち。
また来年、同じように頑張れるかと言ったら、ちょっと気が遠くなってしまう。
それだけ、今年のこの1日のために、全てを捧げたということですね、頑張った。

絵にしても、演奏にしても、やればやるほど自分へのハードルは上がっていく一方で。"いいもの"を作れたら、嬉しいのに、もしかしたらもうそれを越えられないかもしれないという怖さも一緒にあったりします。それを越えるためには、今年以上に身を捧げなくちゃいけないのではないか。だとすると、今年は限界まで頑張ったから、もうこれを越えられることはないのでは、と思ったり。
自分に期待してしまうから、苦しさもきっと増える。いいものを作りたいのに、いいものを作ってしまうのが怖い、みたいな矛盾。その矛盾と向き合いたくないから、ひとつ良い結果が得られた時点で、「ここで終わりにしよう」と思うこともたくさんあります。

でも、絵にしろ、演奏にしろ、そうやってどこかで区切りをつけようと思ってきたのに、気づけばここまできました。「ここまでにしよう」「私はこの作品以上にはもう心を捧げられない」と思っても、きっとこれからも"創る"ということからは一生逃れられないんだろうな、と思います。やめられるなら、きっともっと早い段階でやめていたはず。

自分の実力や与えられた時間と、理想の作品と、そこで見ることができる景色。そのギャップに苦しんでもがきながらも、ひたすら向き合って、何かを作っていくんだろうなと思います。


再出発までは小休止。今は、とてつもなく大きいドミノの作品を完成させて倒した後みたいな感じ。ゆっくり片付けてから、また大きなドミノの作品が勢いよく綺麗に倒れる日を夢見て、コツコツ並べていきたいと思います。

まだ終わりではないけど、ひとまず。
アーーーーーオワッタ‼︎😇

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