相互探求とは何か? 今を生きる私たちに相互探求が必要な理由
ONTELOPE(オンテロープ)代表の澤田です。
私たちは一人一人違う現実を生きています。そのため、一人一人の価値観も異なります。インターネットや仮想現実の普及により、現実が交差しやすくなった今、相互探求は現実をゆたかにするために必要な文化であり、心であるという話をします。
テクノロジーが加速する時代に生きる私たちにとって「道標」となるような視点を投げかけていきます。
インターネットがもたらした世界観
人類史を振り返った時に、世界に大きな影響を及ぼしたテクノロジーはいくつかありますが、インターネットがそのうちの一つであることは誰もが認めることでしょう。1996年から2000年の5年間で、日本国内のインターネット利用者数(普及率)は、3.3%から37.1%に上がったといわれています。おおよそ、21世紀を境に、人と情報との関係性は大きく変わったのです。
それまで、人が情報に触れる手段は「紙媒体」「対面のコミュニケーション」「クローズドな情報通信」などでした。インターネットを通じて情報にアクセスする現代と比べて、情報に触れることができる「量」「スピード」「範囲」が、少なく・遅く・狭かったわけです。
さらに、情報の方向性には偏りがありました。個人が自由に、誰もがアクセスできる情報として発信することができなかったのです。
このような変化をたどり、インターネットが人類にもたらした影響の一つとして考えられるのが、「多様性の顕在化」です。
人々に意識される現実の変遷
突然ですが、1980年4月から1981年3月生まれのプロ野球選手のことを、松坂大輔選手と同じ世代という意味で「松坂世代」と呼びます。プロ野球選手でなくとも同世代の場合、巷では松坂世代と呼んだりしていますが、インターネット前後の情報技術と価値観に多分に触れた世代で、かくいう私も松坂世代です。
黒電話、カセットテープ、ブラウン管テレビ、フロッピーディスク、ポケットベル、CD、PHS、携帯電話、インターネット、iPhone、VR、暗号通貨、ブロックチェーン。このようなテクノロジーと生活の変化を身をもって体験しているために、この世代は(本当にそうなのかはさておき)いわゆる昭和的な価値観と現代の価値観にバランスよく共感できる世代だといわれています。
そんな松坂世代である私も、テクノロジーの変化とともに、目に見えない「人と世界との関係性の変遷」を感じながら生きてきた1人です。
インターネットが普及する前は、個人の内面性を自由に発信できる環境はありませんでした。そのため、自分と異質な価値観に触れる機会は少なく、また、触れたとしても同質化し生きる手段としていくことが、現代よりも重要視されていたと思います。
「郷に入っては郷に従え」「石の上にも三年」、このような言葉が当たり前のように良きものとされていた背景には、個人が触れられる情報の性質によるものだったのでしょう。
この世界には、1人として同じ人生を歩んでいる人はいません。そのため、育った環境、関わった人、選択の結果などによって生じる人の内面性は実に多様化します。そして、インターネットの普及は、さまざまな人の内面性をうかがい知ることにつながり、自分の人生もその一つであることがより意識されるものになったのです。
家族や身近な人に限らず、インターネット普及前には知る由もなかったような集団に対して、同質性を感じる機会も増えたことと思います。そこに自分のアイデンティティーを自覚し、大切にしようという思いも必然的に生じやすくなったのではないでしょうか。
つまり、インターネットの普及前に比べると、ご近所さんの範囲がものすごく広くなり、心理的な変化をダイナミックに行うことなく、望むような同質化を個人が行いやすくなったのです。自分自身がどういう人間なのかという理解や意味づけにおいて、自身の環境や過去の選択による依存度合いが小さくなったということです。
このように、「多様性の顕在化」の背景には、個人が同質化する集団の選択肢が増えたこと、多様な価値観を知る機会が増えたこと、この2点が大きな要因としてあるのだと思います。その結果、自分という個の価値の独立性が増し、新たなアイデンティティーが生まれていくことも、多様性の顕在化を促進する要因であるといえそうです。
操作される現実
多様性が進む一方で、個人が自由に、誰もがアクセスできる情報として発信できるということは、価値観の交差する場が増えるということでもあります。そして価値観の交差は、対象者に選択を迫ります。融和的な選択を見出すことができる時もあれば、そうではない選択をする時もあるでしょう。
もしかすると、価値観の交差する場が増えるということは、融和的ではない選択の場が増えるということなのかもしれません。インターネットが普及する前は融和的ではない選択として、戦争や暴力的な手段など非人道的な行為が、現実を操作する方法の主な選択肢であったと思います。
現在では、インターネットとともに、さまざまな情報処理技術が発展し、個人の現実を操作することが可能となりました。
VRやAIなどのテクノロジーは、身体性を巻き込むほどの現実操作ができるようになり、もはや本当に現実との区別がつかないようにすることもできます。
あるいは誰かにとって都合の良い現実操作は、間違ったステレオタイプを生み、誤解や差別を助長し、他者の価値観や人権を尊重しない世の中をつくることができてしまうのです。
価値観を交差する場の増加と、現実操作がしやすくなるテクノロジーを考慮した時、このような危うさは十分起こりうることです。その片鱗をSNSやニュースなどで皆さんも目にする機会があるはずです。
相互探求という必然
私は、多様性が顕在化すること自体は良いことだと考えています。誰もが一人一人ちがう現実を生きていますが、社会が一人一人の尊さに向き合い、どのようにそれぞれのゆたかな現実をつくっていくかという取り組みにつながるからです。
けれども多様性の顕在化は、融和的ではない現実の操作を助長するリスクをはらんでいることも否めません。このようなことが起きる原因は、「他人が自分と同じ『価値をもつ存在』である」ということを多くの人が認識していないからです。これは、当たり前のようでなかなか難しいことなのかもしれません。
相互探求は、多様性の顕在化の促進とともに、他人が自分と同じ価値をもつ存在であるという実感を呼び起こしてくれます。これは、価値観が交差した時に、融和的ではない選択を選ばないことにつながります。
今後、ますます現実を操作したり拡張できたりするようになり、多様性が顕在化していく私たち人類社会にとって、「相互探求」の心をもち、文化としていくことは、必然といえるほど大切なことなのです。
ONTELOPEは、聞こえをサポートする「音が目でわかるプロダクト」をつくることと同じかそれ以上に、「相互探求の文化」をつくる取り組みを大切にしていきます。