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温泉に入ることは、世界と繋がること♨️

先日、noteを見ていて非常に面白い記事を見つけました。
虚空坊主さんの「水は情報を記憶するか」という記事です。↓

僕の専門である温泉ももちろん「水」です。
こちらの記事を読んで温泉について考えたことを書いていこうと思います。


人間の身体は70%が水分であり、外部からの波の刺激に影響を受ける。
とすると、温泉に浸かっているときには、体内の水分が温泉の波から影響を受ける。
しかし温泉も水であるため、自分が発する波も、同時に温泉に影響を与えている。
温泉の波と自分の波が干渉し合い、互いの波長に限りなく近付いていく。

温泉は、はるか昔に空から降り注いだ雨が地中に浸透し、地下深くで熱せられて湧き出してきたもの。
温泉がそのときの情報を記憶しているとすれば、温泉に浸かることで、太古の昔から現在まで、また、空高くから地下深くまで、世界から影響を受けることになる。

そして私たちが浸かった温泉は、蒸発して空に昇り、雨となって降り注いで地面に染み込み、またいつか湧き出して来る。
私たちの波が、未来の世界に広がっていく。

つまり温泉に入ることは、時間・空間を超えて世界と繋がる営みである。

そして、一緒に温泉に浸かっている人同士でも同様のことが起きる。
自分→温泉→相手
相手→温泉→自分
というふうに、温泉を介してお互いの波が干渉し合い、波長を合わせるよう働く。
よく「裸の付き合い」と表現されるように、一緒に温泉に入ると仲良くなれるのは、物理的に体内の水の波長が同じになるから。

温泉に入ることで、世界と他者と波長が同化され、
【自分=世界=他者】
という等式が成り立つようになる。

と、ここまで考えて気が付いたのは、空気中にも当然水分が含まれているということ。

私たちは、一緒に温泉に浸かっている人だけでなく、世界中の全ての人と空気中の水分を通して互いに少しずつ干渉し合っていると言えるのではないか。

だとすれば、たとえ温泉に入らずとも、
【自分=世界=他者】
の等式は成り立つ。

これは、華厳経の「一即多 多即一」や、アドラーの「共同体感覚」といった思想とも一致する。また、このように古今東西で同じような思想が生まれていること自体が、水の記憶が波及した結果とも言えるかもしれない。

私たちの思考や感情は、体内の水に記憶され、世界中に波及していく。
ということは、自分が幸福であれば、その記憶はすぐ隣にいる人から地球の裏側にいる人まで、世界中に伝わっていくし、反対に地球の裏側の誰かの幸福も自分に繋がっている。そして当然不幸も同じように伝搬する。

つまり、自分の幸福と他の誰かの幸福、世界全体の幸福はイコールであり、他を不幸にして自分だけ幸福になることはあり得ないし、逆に自己を犠牲にして他を幸福にすることもできない。

自分の幸福を追求することがそのまま他の誰かや世界の幸福を追求することになり、他の誰かや世界の幸福を追求することが、そのまま自分の幸福を追求することになる。

華厳経やアドラー心理学、そしてキリスト教の「隣人愛」なども、観念的なものではなく具体的な在り方として、全てここに帰結するのではないかと思う。


以上、毎日温泉に浸かりながら、こんなことを考えています(笑)

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