暁闇の黎明(死についてのエッセンス)

今日も一日がはじまる。

黒い闇の中から光がほとばしる。

まるで救いようのない人類を嘲笑するように

夜明け前の空に光がほとばしる。


そういえば今日亡くなる人間っていったい何をしているのだろう。

少なからず今日亡くなる人間は多かれ少なかれいるはずだ。

病気で死ぬ者、事故で死ぬ者、または誰かに殺される者。

死因は別なれど、確かに今日死ぬ人間はいる。

その人はいま何をしているのであろうか。


この文章を読んでいる君とて例外ではない。

黒い光がほとばしる空を眺めて何を思っているのだろうか?


誰も死ぬ直前まで自分の死を自覚することはない。

それが怖いのだ。

死は予告なくやってくる。

誰が望もうと、誰が嫌がろうと誰にも死は平等にやってくる。

この世のすべてを牛耳る大富豪であれ

地べたに這いつくばるホームレスであれ

君であれ

死は突然、なりふり構わずやってくる。

僕だって例外ではないよ。


話を戻そう。

今あなたは何をやっているのか。

僕は冷房の効いた薄暗い図書室でこの文章を作成している。

あなたはたぶんスマートフォンかPCかでこの文章を読んでいるのだろう。

僕が図書室から出たとたんに心臓発作をおこすかもしれない。

君がこの文章を読み終えてスマホを放り投げたあと

強盗に殺されるかもしれない。

少なくともそれは蓋然性の問題である。


問題はそれが誰であるかではなく、確実に死に至る一日を歩んでいる人間が

日本の中に数名いることだ。

誰が死ぬのかはどうだっていい。

死ぬ人間がいることがここでの焦点なのだ。

それが僕であれ、君であれ、第三者であれ

死は唐突にやってくる。

僕たちはいずれか黒い光に吸い込まれていくのだろう。


今日亡くなる人の人生に幸あれ。

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