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『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』(福嶋亮大著)を読み、無謀にもnoteで思考の《庭》をつくってみる
本書は、大学の先生であり批評家である著者が、人文知の山を登るコツや基礎知識を紹介してくれる入門書です。
大学の先生(立教大学文学部准教授)なので、主に大学生を想定していますが、年齢関係なく、思考の整理に役立つ本だと思います。
本書のねらいは、ちょっとした思考の「目詰まり」を除去して、人文学や批評に対する食わず嫌いを少しでも減らす、というものです。
本書の構成は、前半で、読書術、思考術、コミュニケーションといった知的生産がスムーズにいくための技術を語り、後半で「近代」「歴史」「芸術」という3つのテーマについて、それらと向き合うことの基本的な考え方を示してくれます。
ねらいを達成するための入門書として理想的な章立てと展開、そして、星海社新書の章立てのビジュアルもおしゃれです(笑)。
入門すらしていない私のような門前の人間には、ありがたい限り。
そして、本書のタイトルは「思考の庭のつくりかた」。
ということで、本書をとおして、本noteで思考の《庭》をつくることができるのか、を考えてみようと思います。
わずかな読書履歴で、《庭》ができるのかはわかりませんが(笑)、拙いながらも考えを巡らせてみます。
《庭》というコンセプト
まず、《庭》という本書のコンセプトについて。
《庭》の特徴
著者は、小林秀雄のような先鋭的な批評家になるのはハードルが高いため、今日の「思考する主体」を一般的で親しみやすいモデルに置き換えるということで、《庭》という概念を提案してくれます。
①庭は、「テクスト」と似ている。
庭の植物の生育状況には時差がある
②庭は、オープンシステムである。
③庭の動植物たちはネットワークを形成している。
著者は、「二一世紀においてものを考えるとは、あれこれ試行錯誤しながら、庭を作ることに近い」といいます。
ちゃんと内部でメンテナンスが必要だし、庭の中の動植物は、相互に干渉しあっている、外部環境が庭の環境にも影響するが、風通しがよくないと植物は育たないので、外界と一切遮断することは不可能といった感じです。
そして多分ですが《庭》は、テクストとしての《庭》と場(公共空間)として《庭》に分けられるような気がします。
ここは、もしかしたら、著者の意図に合ってないかもしれませんが、「読めてない本でも堂々と語る」のが本noteのコンセプトなので(笑)、気にせず進みます。
以下のような感じかと思います。
・テクストとしての《庭》 = 思考する主体
・場(公共空間)としての《庭》 = 思考する公共空間
そもそも《テクスト》とは
そもそも、《テクスト》がよくわかってなかったので、もう一度読み直して確認しました(最初の方に書いてあった)。
テクストは、もともと織物の意味だそうです。
《作品》と《テクスト》は区別して考えるそうです。
《作品》 = ネットワークから切断されたいわばクローズドな状態での文書モデル
《テクスト》 = ネットワークに対してオープンな状態の文書モデル
人文系の学問の根幹にあるのは、この《テクスト》を読む作業で人文系のトレーニングの基本中の基本(素振りみたいなもん)だそうです。
やはり、人文学を志すにはきちんと《テクスト》を読まないといけないのか…
と思われますが、ここで著者は、「目詰まりをとる」読書術を教えてくれます。
つまり、
本は非線形(ノンリニア)な道具箱である
と著者は言います。
本は、そもそも最初から最後までリニア(まっすぐ)に読み通す必要はないと言ってくれます。
著者は、順をおって、律儀に最初から最後まで順番に読まなければならないという思い込みを捨ててよいといいます。
むしろ、オープンモデルである《テクスト》のネットワークに接続することが大事だと言います(この《テクスト》のネットワークに接続するテクニックの詳細は、本書に書いてありますので是非読んで見てください)。
《テクスト》の特徴について、著者は
① 不均質であること
② オープンシステムであること
③ ネットワークであること
を上げます。
だから、「庭」と《テクスト》は似ているということになります。
世界は《テクスト》と似ている
著者は、批評家について、この世界=テクストを知的なアマチュアとして生き抜く術を多面的に示そうとする職業といいます。
批評家は、テクストを読むのに慣れているので、だんだん世界がテクストのように見えてくると言います。
なぜなら、世界はテクストと同じく
① 異質なものの集合体 であり
② オープンで未完結 であり
③ ものごとをネットワーク的に繋げている
からです。
世界を熟知した「専門家」はいないので、この世界=テクストを知的なアマチュアとして生き抜く術が必要です。それを多面的に示そうとするのが、批評家だと著者はいいます。
つまり、世界も《テクスト》に似ているといえます。
《思考の庭》で《庭》を手入れしてみる
庭の場所を探す
これまで(拾い)読んできたのは以下のとおり。
●《庭》の特徴3つ
不均質で
オープンシステムで
ネットワークを形成している
●《庭》には、テクストとしての《庭》と公共空間としての《庭》がある。
●《庭》はテクストに似ている。
●世界はテクストに似ている。
さて、《思考の庭》のネットワークに接続できるか…
上記は何か前読んだのと、似ているような…
もう一つ先ほど出てきたこと
本は非線形(ノンリニア)な道具箱
最初から最後まで律儀に読まなくていい・・・
・・・
あ、この前読んだ「読んでない本を堂々と語る」(「本は読んでなくても、人に語っていい」)と同じかも。
※ ということで、このあとの《庭》の手入れに付き合っていただける方は、良ければ2週間くらい前に書いた以下のnoteも読んでみていただけるとうれしいです(笑)
庭の手入れを進める
さて、手入れができるかやってみます。
先日読んで感想をまとめた「読んでいない本について堂々と語る方法」では、3つの【図書館】が出てきました。
【共有図書館】
【内なる図書館】
【ヴァーチャル図書館】
の3つです。
要約すると
・<共有図書館>のなかの位置付けが分かっていれば、読んでいなくても本を語れる。
・ひとりひとりに<共有図書館>の主観的要素としての<内なる図書館>があり、対話において他人の<内なる図書館>と接触することで、コミュニケーションが生まれる。
・書物に関するこのコミュニケーション空間である<ヴァーチャル図書館>は、イメージの空間、虚構の空間、遊戯的空間であり、幻想であるから、あいまいさや空白、欠落が許され、それゆえに、他人の言葉の重圧から解放されて独自のテキストを創出する力を見いだされる。
という感じです。
これが、思考の《庭》とリンクしそうです。
ということで、本書の上記検討とリンクさせて、先日の「読んでいない本について堂々と語る方法」の《テクスト》の《庭》の手入れをしてみようとおもいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1653840413590-ISkAQ8XPDR.png?width=1200)
ということで、《思考の庭》がちょっとは手入れできた(?)気がします。
「読んでない本を堂々と語ろうとする」本と「思考の庭をつくりかた」を解説してくれる人文学の入門本が、似たようなを言っているというのは面白いですね(笑)。
おわりに 書くことについて
最後に、書くことについて、本書の著者の言葉を引用をさせていただこうと思います。
そもそも、ものを書くというのは、大なり小なり恥をかくということです。それでも「自分をたしかめ、他人をたしかめる」ためには、どうしてもその恥の多い作業を経なければならない。そして、その確認作業の副産物として、ときに社会や文化を改善できるようなミーム(文化的遺伝子)が作成できることもある。そう信じて、僕は仕事を続けています。
すでに恥をかいているのだから、後は率直に書くべきです。「自分をたしかめ、他人をたしかめる」ことは、あくまで率直な態度でなされねばならない。ごまかさない。権力におもねらない。勝ち馬に乗ろうとしない。忖度しない。書き手の倫理は、煎じ詰めればそれです。
確かにすでに読めてないのに語るという恥をかいています(笑)
本書は、学生さん向けの本ではありますが、至る所で著者の誠実さと優しさが感じられる本だと思います。
本書の後半の3つのテーマもわかりやすく面白いと思いますので、是非、人文学の門前での最初の一歩に読んでみてはいかがでしょうか。
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