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本は読んでなくても人に語っていい  ピエールバイヤール著、大浦康介訳「読んでいない本について堂々と語る方法」①



 タイトルを見ると、読んでいない本について語ることを余儀なくされた事態で、どううまく切り抜けたらいいのか!? のテクニック集、ハウツー本という感じがします。

 が、いい意味で予想を裏切られました。

 タイトルがハウツー本の感もあり、目次をみても一見そんな感じです。
 しかし、中身を読んでみると予想外に深いことが書いてあります(これも著者の意図なのかもしれません)。

 さすが、世界の『読書家』がこっそり読んでいるベストセラー(?)(帯の説明書)です。

 割と本はたくさん買ったり、図書館で借りたりするけれども、ちゃんと読めていない本がいっぱいある(私のような)人に、安心とちょっとした勇気を与えてくれる気がします(笑)

 本は読んでなくても人に紹介していい、いやむしろ読んでいないくらいのほうがいい―そんな気にさせてくれる本です。


 そもそも「読んでいない」とは・・・?


 著者は、未読の初段階について以下の4つに分類し、それぞれ論じていきます。

  1. ぜんぜん読んだことのない本

  2. ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本

  3. 人から聞いたことがある本

  4. 読んだことはあるが忘れてしまった本


 いずれも共通して語られるのが、そもそも「『読んでいない』or『読んでいる』とは何なのかを知るのは、非常にむずかしい」ということのような気がします。

 たしかに、例えば、一回通読して読んだ本、次の日になって実際どのくらい覚えているのかというと、私はほぼ覚えられてなくて、むしろ忘れている部分のほうが多い気がします。というか、ほとんど忘れています。

 そうするとその本を「読んだことあるのか、ないのか」というのは、読み手(語り手)のその本に対する態度として、実は大したことではないのかもという気がしてきます。

 著者は、上記4分類を語るなかで、「読んでいる」と「読んでいない」の間を説明してくれます。
 「読んでいる」と「読んでいない」の間には、無数のグラデーションがあります。
 その間を縫っていくように、著者の論が展開されています。

 <共有図書館>を把握する


 では、読み手(語り手)の読んだ本に対する態度において、何が重要になるのか。

 ここで、著者は<共有図書館>というおもしろい概念を出しています。

 ある本についての会話は、ほとんどの場合、見かけに反して、その本だけについてではなく、もっと広い範囲の一まとまりの本について交わされる。それは、ある時点である文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体である。私はここでそれを<共有図書館>と呼びたいと思うが、ほんとうに重要なのはこれである。この<共有図書館>を把握していると言うことが、書物について語るときの決め手となるのである。

読んでいない本について堂々と語る方法(ちくま学芸文庫)
ピエールバイヤール著、大浦康介訳p35


 著者は、本を語るとき、ほんとうに大事なのは<共有図書館>を把握していることだと述べます。

 つまり、本を語るとき、実はその本だけを語っているということはありえなくて、もっと広いひとまとまりの本を語っているはずです。
 その見晴らし、位置づけを分かっていることが重要だと述べているとかんがえられます。

 確かに、本を語るとき、その本のことだけを語るというのは普通はないです。読み手(語り手)がひたすら、本をそのまま音読しているのであればそういうこともできるかもしれませんが(笑)、それだと語る意味がなさそうです。

 本を語るときには、その本の周辺知識とか文化的背景などのバックグラウンドがあるはずです。そこには当該一冊の本だけではなく、一連の本が分類され、<図書館>のように存在すると著者は考えているのではないでしょうか。

 著者は、読み手(語り手)が、これまでに把握した<共有図書館>に位置づけて「本」を語ることのほうが、「読んでいることそのもの」より重要だということを言いたいのかなと思います。

 確かに、「読んでいることそのもの」より重要なことがあるのなら、なんだか、本を読んでいなくても本を語ることはできそうな気がしてきます。

 でも、それだと位置付けを語れるほどの教養がないと、やっぱり語るのは難しそうでは。。。

 そんななか、著者は、このあと、残り二つのタイプの<図書館>を導入してくれます。

 もしかしたら、処方箋になるかもしれないので(私にはなった)、興味のある方は、是非。

 


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