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「娘が母を殺すには?」(三宅香帆著、PLANETS) を父親的にはどう読むか?

現在、妻と小4の娘(あと、小1の息子)がいる。

話題本なので気になってはいたのだが、こういう身だと、まず、どうやってこの本を読むか?が課題となった笑。

なので、夜中に一気に読んでしまった。

娘は、最近お笑いが好きなようで、M-1の録画を繰り返し見ている。
少なくとも、妻と娘が一緒にM-1の録画を見ながら、ゲラゲラしている横で、広げて読むべき本ではない。タイトルが不穏すぎる笑。

もっとも、内容は、娘が物理的に母親を殺すことについて論じたわけではない。だからといって軽い内容の本ではないが、書いてある内容は、いままで語られてそうで意外とガッツリ語られてこなかった話。

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本書は、著者も触れていますが、前著「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と問題意識が対になっているとのこと。


要は「会社で働いていてなかなか家に帰って来られないお父さん」と「専業主婦として家事育児をしてなかなか家から出られないお母さんと娘」が対になっています。

まず、この対になった今までありそうでなかった問題設定を裏表で設定する手際が秀逸だなあと思いました。

そして、どちらにも似たような問題構造があることに気が付き、同じような場所に行き着いていく感じになっていきます。なので、「なぜ働いていると・・・」とセットで読んだ方が面白いと思います。

「娘が母を殺すには?」にも、夫・父親の問題についても考察があり、自分の立場としては、この部分は身につまされます。

ちなみに、最近M-1の録画を繰り返し見ている娘は、ミルクボーイとさや香が気に入っているらしい。
そういえば、ミルクボーイの漫才は、オカンの話ばっかしてるなぁ。


さて、本書。
本書では、「母殺し」「規範」「欲望」といった強めの言い回しが出てきます。著者は、おそらく敢えてこのような強めの言葉を使って論じているのだと思います

「娘たちがどうやったら『母殺し』を達成できるのか」というのは、かなり強烈な問題設定です。
メタファーだとしても、とりあえず父親が娘にこの問いをそのまま提供するのは強烈すぎます笑
よって、この「娘たちがどうやったら『母殺し』を達成できるのか」という問題設定が直接的に向けられているのは「娘たち」です。

父親たちが、娘の母殺しについてどうかかわっていくのかについては、そのままの言い回しではなく、相応の工夫は必要そうです。

父親たちの工夫は、父親たちが考えるとして、なぜ、こんな強烈な言い方にしたのか。例えば、「娘が母親から自立するためには?」では、どうしてだめだったのか?

それは、娘が母親の規範から外に出ることが極めて難しいからではないかと思います。

著者は、父子関係との違いをこのように説明します。

 簡単に言い換えれば、「父」は強さで子を支配するが、「母」は愛情で子を支配するということである。父はタテのヒエラルキーで規範をつくるが、母はヨコのゾーンで規範をつくる。そのため、強くなれば倒すことができる「父」の規範と、愛情を拒否することでしかそこから逃れられない「母」の規範とでは、大きく性質が異なる。息子は父の規範ヒエラルキーを転倒させることで「父殺し」を達成できる。しかし、娘は母の規範ゾーンから出ることを選択する──つまり母の規範を手放すことでしか、「母殺し」を達成することができない

三宅香帆. 娘が母を殺すには? . 株式会社PLANETS.

確かに、父親を倒して息子が乗り越えるイメージはあるが、母親と娘の関係に関しては、そういうイメージはあまりありません。

ここに、娘が母親の規範から外に出ることの難しさがあると思います。



娘が「母殺し」をどうやって達成するのかは、詳細は、本書を読んでいただければと思いますが、一点あげるとすれば、重要になってくるのは「娘」と「母」以外の「他者」(モノ、ヒト、コトを含む)の存在です。
(その「他者」がどういう立ち位置なのかも含めて重要なのだと思います。ここら辺も改めてみると、本書の「娘」と「母」以外の「モノ、ヒト、コト」がどういう役割を果たしているのかということを、著者が最初から意識して伏線的に書いていたようにさえみえてきます。)


あとがきで、著者にとっての母殺しの方法は、本や映画を見ることであったと述べています。


この点については、以前「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の感想で、読書とは、比較に先立って価値を体験することなのかもしれないというようなことを書きました。

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読書だけでなく、およそ文化的なものに触れる体験は、比較に先だった価値の体験なのかもしれません。
やはり思い出すのは、前回の投稿でも引用したヒュームのこの一節。

われわれは、対象をそれらに実在する内在的な価値からよりも、むしろ比較から判断する。そして、何かと比較対照することで、それらの対象の値打ちを高められない場合には、対象の中にある本質的に良いものさえも見落としてしまう傾向がわれわれにはある。

「所有論」鷲田清一著.講談社より

娘は、母親の規範を通してしか判断ができなくなってしまう危険があるのかもしれません。これは、父親が常にその時代の成功と自身を比較してノイズが受け入れられなくなってしまうことと対になっているような気がします。

このような、何かと比較することだけですべての価値を判断しようとしてしまう危険性は、父親が本を読めない問題、母親と娘の関係性の問題だけではないのかもしれません。例えば、学校のクラスの中のいじめとかももしかしたらそうかも。

比較する価値はもちろんダメなわけではないけれど、読書によって自分だけの内在的な価値を体験することで、バイアスに気づき、違う世界線を手に入れることも大事なんだと思います。


そんなわけで、重い話ではありましたが、妻と娘は相変わらずM-1の録画を見てゲラゲラしています。
ちなみに、娘は、さや香の「見せ算」の漫才を見て、M-1では不評だったが自分は面白いと思っている、「見せ算」の漫才は続けてほしい、だからといって、そのことを訴える手紙を吉本興業宛に書いたらしい(笑)
謎モチベーションだけど、まぁいいんじゃない。返事が来るといいね。ミルクボーイの漫才もオトンがオチになってたし。


ということで、用法用量にはご注意ですが、面白い本なので、おススメです。
そんな感じで、「今日一日を最高の一日に


(朝起きたら8時過ぎてた。寝坊した。。。)




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