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抱きしめられて取り戻す輪郭


自作の自由律俳句を表題に短編を書く。
八作目。約2500字。

「抱きしめられて取り戻す輪郭」


布団の中で、今日一日のことを最初から思い出そうとして自分の記憶に集中する。
でも、今日は昨日とあまりにも似ていて、区別がつかなくなっている部分が何箇所もある。
私はくっついてしまった今日と昨日を、破れないように慎重に剥がそうと試みるのだけれど、大抵途中で今日に昨日の欠片が引っ張られて切れてしまったり、昨日の側に今日がべったり張り付いて取れなくなっていたりする。
行き詰まった私は、仕方なく最初に戻って思い出し直す。


起きた時間、食べたもの、駅までの道のり、天気はどうだったか。
電車を待つ間に見かけた人、聴いていた音楽、目にした風景。
一緒に仕事をした人、言ったこと言われたこと考えたこと。
一度流れに乗ると、意外なことまで思い出したりする。
しかし一度でも止まってしまうと、今日とそっくりな昨日や一昨日が混ざってきて台無しになってしまう。
苦心して一通り思い出して、脳内で今日という一日を整理しファイリングすると、今日の出来事はやっと終わったこととして受け入れられる。


私には毎日のこの作業が欠かせない。きちんと整理して仕舞っておかないと、あふれ出して渦を巻いた記憶の洪水に襲われて、今自分がいるところが現在なのか過去なのかわからなくなってしまうのだ。
今、見ていると思っている景色は、もしかしたら以前に見たもののフラッシュバックなのかもしれない。その思いに囚われると、目に映るものから現実感がなくなり、全ての感覚がふわふわとした頼りないものになってしまう。
これはとても危険な状態だ。
自分が立っているのか座っているのかも分からなくなるし、心の中で思ったことなのか声に出てしまっているのかもわからない。
ただぼんやりとした景色に包まれて浮遊感に身を任せることしかできなくなってしまう。


そのうちに、自分の大きさもわからなくなる。
とてつもなく巨大化して、かと思えばどんどん縮んでいって消えてしまいそうになったり、不確かな形状になって溶けたり崩れたり、私の身体はとても不安定な状態になる。
それを繰り返していると、今度は自分の意識が身体の中にあるのか外にあるのかもわからなくなってしまう。


外側から自分の全身を眺めて、おかしいな、私は一体どこから私を見ているのかしら、と思った瞬間に内側に戻って、もちろん自分の顔は見ることができなくなる。
そして気がつくと知らない場所に居たり、職場に着いていたり、自宅の前に立っていたりするのだ。
この不確かな世界は、いつ始まっていつ終わるのかがわからない。コントロールできない。
だから私は用心深く記憶をファイリングし、過去と現在をきちんと分けるのだ。


そんな日々にも、例外はある。
私はお酒が好きだ。ほどよく酔っている時の幸福感は何物にも変え難い。しかし厄介な身体を抱えているため、お酒を嗜むのは月に一度、一人で静かな店でと決めている。お酒で失敗したことはないし、月に一度の息抜きでもあるので、その日だけはファイリングの作業をせず酔いに任せて眠りにつく。

そんな至福の日の翌日。目が覚めると、隣で知らない男の人が寝ていた。一瞬ぎょっとしたけれど、私が拾ってきたんだった、とすぐに思い出す。二日酔いでクラクラしている頭を抱えて、詳細な記憶を手繰り寄せる。

たしかに昨日は、少し呑み過ぎた。初めて入った小料理屋が料理もお酒も絶品で、普段はあまり好まない日本酒をずいぶん呑んだ。そして帰り道、道端でうずくまっている彼を見つけて拾ってきてしまったのだった。
こういうことは、以前にもあった。あまり褒められたことではないが、仕方が無い。私の前には定期的に、捨て猫のような男の人が現れるのだ。

こんなによく眠る人は初めてだな、と思ってその寝顔を眺める。私が起き上がって動いても目を覚ます気配の無い彼は、すぅすぅと寝息を立てていた。滑らかな肌には張りがあり、ずいぶん若く見える。未成年だったら流石にまずいかなぁと他人事のように考えて、とにかく水を飲もうとベッドから出たところでそれはやってきた。

今見たばかりの彼の顔の残像が、私の顔に変わっている。慌てて振り返ろうとしたところで、ぐにゃり、視界が歪んだ。そのまま床に座り込んだ私の身体はみるみるうちに縮んでいく。床に手をついて必死にその感触を捕らえようとするけれど、その手もどんどん小さくなって、もはや感覚がはっきりしない。豆粒よりも小さくなったところで縮小は終わり、今度は膨張が始まる。あぁ、まただ、どうしよう、と考えるけれど、どうしようもない。

両腕で自分を抱き締めて二の腕をさする、その腕ごと際限なく膨らんでゆく身体。狭い部屋は私でいっぱいになり、頭が天井を突き抜けそうになる。膨らんだ私はぶよぶよとしていて、半透明のようになっている。その感触はとても気持ちが悪い。自分を抱く両腕に力を込めるけれど、手ごたえが全く感じられない。腐りかけた林檎のような嫌な柔らかさだけが、うっすらと手の平に伝わってくる。

言葉にならないうめき声を上げていると、「なにしてるの?」という声が遠くの方から聞こえた。『どんどん膨らんでしまって、止まらないの』と心の中で返事をする。途端に身体は再び縮小に転じて、私は更に忙しなく両腕をさすりながら『あぁ、今度はまた、縮んでいく』と思う。

突然、背中にふわっとした温もりを感じて、世界が元通りになった。さっきまでと同じ姿勢で床に座り込んでいる私は、捨て猫の男の子に後ろから包み込まれていた。突如取り戻した感覚に頭が混乱して、床をペタペタ触る。固い。ちゃんと触れる。私の手も、すっかり元の大きさになっている。それから、私の身体にまわされている彼の両腕を、触ってみた。彼の腕はぶよぶよなんてしていなかったし、触れている私の手も、彼に溶け込んでいったりはしなかった。肌に感じる温かさが私と彼の境界線で、私の輪郭そのものだった。

「さっき、私の声、聞こえたの?」
「うん、きこえたよ」
「ねぇ、私の形、大丈夫かな」
「うん、だいじょうぶだよ」

柔らかい声に安堵して、私の混乱は収束した。向き直って、ありがとう、と言ったら、もう一度、今度は正面から抱きしめられた。幸福感に似た温かさがじんわり全身に広がって、視界がぼやける。
滲んだ涙がこぼれないようにそうっと瞼を閉じて、彼に身体を預ける。私の全部が温かさで満ちるまで、彼は辛抱強く私を抱きしめ続けてくれた。

瞼を開く。
一人きりの部屋の中で、私は温かな幸福感と確かな輪郭を取り戻していた。


◇完◇


あとがき
この記事は、一度公開した後もラストが納得いかず取り下げようか悩んでいました。煮詰まっていた私に素敵なアドバイスを下さった金魚風船さんのおかげで、どうにかまとめることが出来ました。
7/6時点の記事にスキを下さった皆様へ、公開後に手を加えてしまったことをお詫びします。申し訳ありませんでした。

私と同じく自由律俳句を基に小説を書いていらっしゃる金魚風船さんの記事がこちらです。

完成度の高いショートショートを多数楽しめます。
私がおすすめするのはおこがましいですが、まだご存知ない方は是非。
2020.7.7 小野木のあ

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