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BILLY ELLIOT【観劇日記&自分語り】

2020.10.10.sat
ずっと、ずーっと楽しみにしてたミュージカルを観て来た。

日本版、ミュージカル「ビリー・エリオット」

もとになった映画がこちら。
「リトル・ダンサー」

2000年に公開された映画。
私は子供の頃、この「リトル・ダンサー」が大好きだった。
何度観たか分からないくらい繰り返し観て、特典映像も監督のコメント付き映像も全部、何度も観た。

とくにビリーがクリスマスパーティーの後にマイケルと二人残って踊るシーンが大好きで、私もこれを踊りたい!!!とそのシーンだけ何十回も観ながら一緒に踊った。
劇中に流れるT.Rexの曲を聴きまくった。

この時、小学生だった私にとってこの映画は完全に、少年のサクセスストーリーだった。
逆境の中、運とチャンスを掴み、夢を叶える少年の物語として大好きだった。
炭鉱夫のストやビリーの家族の苦悩、町の人々の苦悩は、『逆境』以外の何物でもなかったのだ。
踊りたいという抑えられない欲求、身体の内側から湧き上がってくる熱量に共感していた。

私は演じることが好きだった。
歌と踊りも大好きだった。

もともと好きだったのが、12才で児童劇団に入ったことで爆発した。
もう、これ以外は何もいらないと思った。
お芝居以外は、何もしたくないと思った。
演じ続けること以外の未来なんて考えられなかった。

その勢いで、高校卒業後の進路は演劇学科を選んだ。
専攻はミュージカル。

ミュージカルが食べ物だったらいいのに、と毎日思っていた。

ミュージカルで身体の細胞を形成したい、と思っていたのだ。

ただの馬鹿だ。

ミュージカル「ビリー・エリオット」の存在を知ったのは、その頃だった。
英国の演劇学校に留学経験のある著名な講師が、この舞台を絶賛していたのだ。
私はその講師が好きだった。
その人があまりに熱弁するので、いつか観てみたいと思った。
しかしその頃は日本公演の話は無かったので
「いつか行ってみたいなぁ、ロンドン。英語わかんないし無理かなぁ」
くらいの熱量だった。

その後なんやかやあり、今の私は芝居とは無関係な生活に落ち着いている。
たまに知り合いの舞台を観に行くくらいで、劇場からもすっかり足が遠のいた。

しかし、やはり好きなものは好きなのである。
あれは昨年のことだったか、「なんか舞台の映像ないかな~」とamazonを物色していて、発見した「ビリー・エリオット ミュージカルライブ」の文字。

あ、これ、昔観たいと思ってたやつだ!日本語字幕!ありがとう!
くらいのテンションで購入した。

そのまま観始めて泣いた。
もう、目も当てられないほど号泣した。
泣きすぎて吐きそうになった。

まず、ビリーのダンスに圧倒された。
いや圧倒どころじゃない、衝撃、驚愕、感動、こんな言葉じゃ足りない、

つまりヤバい。

奇跡か?小学生だろ?この子は神か?

信じられないくらい上手いんだけど、上手いだけじゃない。

ダンスで泣ける。凄まじい熱量が伝わってくる。

そして、過酷なストーリーが、突き刺さってくるのだ。
「リトル・ダンサー」を観てサクセスストーリーだと思った、子供の頃の私を否定するつもりはない。
それはそれで良いし、映画に夢中になった時間は大切な思い出だ。

しかしこの舞台は、違う。違った。全然違ったのだ。

これも何度も観た。
観るたび泣いた。
YouTubeで動画を漁った。
数分の動画でも泣いた。

そしてYouTubeには、世界各国のビリー・エリオットの動画があった。

その中に、日本のものもあったのだ。

日本での初演2017年。
ビリー役は1年以上かけたトレーニング型オーディションで選ばれる。
貪るように当時の動画を見た。

なぜ日本公演に気がつかなかったのかと、自分を呪った。
まぁ、ミュージカルその他舞台情報を避けていたから気付くわけがないのだけれど。

そして、一縷の望みをかけて検索した。
「ビリーエリオット 日本公演 再演」

ヒットした。
やる!やるんだ!2020年!やった!絶対観る!!!

すでにオーディションが進められている状況だったが、上演開始日時など詳細は未定だった。
これはまだ間に合う。頑張ればチケット取れる。

すぐさま公式HPのリンクをスマホのホーム画面に貼った。
チケット予約サイトでフォローして通知の設定をした。
こまめにチェックして、情報が更新されるたびにスケジュールにメモを入れた。

待ちに待った2020年、コロナ禍の襲来。
公演延期。
1年以上かけてビリー役を手にした子役たちの気持ちを想像して泣いた。

泣きながら待った。

そして、上演決定。
私はチケットを手に入れた。

ようやく今日にたどり着いた。

ロンドン公演の映像を何度も観ているから、内容は頭に入っている。
絶対に泣くと思ったから、ハンドタオルを二枚と、予備のマスクを持って出かけた。
この判断は正解だった。

※ここから先は今日観て感じたことを書き散らします。ネタバレします。この舞台を知らない人が読んだら意味わかんないと思います。よろしくどうぞ。

母からの手紙をウィルキンソン先生に見せるシーン
ここはもう、ロンドン版でも毎回必ず心を抉られて泣くシーン。
手紙の文章を一字一句覚えているビリー。
覚えてしまうほど、何度も何度も読んだんだね。
途中で涙で言葉が詰まるビリーに代わって読み上げる先生の気持ち。
ビリーにだけ見えている母。
ビリーは母を抱きしめるけれど、抱きしめ返してはもらえない。

オーディション前日のビリーとウィルキンソン先生の会話
ビリーも先生も、すぐに悪態を吐く。それぞれの理由で。
でもこのシーンで、ビリーの不安と緊張を汲み取った先生はストレートな励ましの言葉をかけてくれる。
抱きつくビリーを、しっかり抱きしめ返す先生。
先生は生きている。
ビリーを全身で抱きとめる先生の姿に、抱きしめ返してはくれない幻の母の姿が重なり涙。


アングリーダンス

このシーンは本当に突き刺さってくる。
子供の力ではどうしようもない、抗えない力に対する強い憤り、怒り、踊りたいという気持ちの噴出。
金銭的な問題、男がバレエなんてという風潮、バレエは禁止だと怒鳴られるビリー、家庭内に味方がいないこと(父と兄の無理解、父と兄はそれどころじゃない、母の不在)
そして町全体を覆う異様な状況、警官隊との衝突、殺気と怒声と暴力に晒される毎日。
ビリーの叫びと、渾身のタップダンス、闘争の演出、全てが凄まじい迫力で迫ってくる。
ビリーの気持ちにリンクして涙が出てくる。

ビリーのダンスを見てウィルキンソン先生を訪ねる父ジャッキー
ここの会話は本当に。胸にくる。
ストライキで失業中の父の決意の場面であり、先生の愛情と熱意が直接的に見えるシーン。
時代の波に淘汰される人々の、その渦中の思い。
「あいつは俺の息子なんだ」
とっくにぐちゃぐちゃの顔がさらに濡れる。

スト破りを決行した父ジャッキー、必死の説得を試みる兄トニー
ビリーの為の金を作るためにはこうするしかないと、ストを破って炭鉱へ向かった父。
それは仲間を裏切り、息子を裏切り、自分自身の人生をも裏切る行為。
昨日まで心底軽蔑していたスト破りたちの側にたち、仲間と息子の怒号を浴びる。
ビリーの兄トニーは必死の思いで父を説得する。
父の後を追って炭鉱夫になり、仲間とともに炭鉱の未来の為に全力で戦うトニーの「親父、頼む、やめてくれ」という悲痛な叫び。
それでも「ビリーは輝ける、ビリーに未来を与えなければ」と繰り返す父の決意の固さ。
殴り合いになる二人。仲間達に止められて、ビリーのための寄付金が集まり始める。
このナンバーはもう、感情失禁状態必須だ。
自分達は終わった人間だが、ビリーには未来がある。
ビリーの未来のためには、金がいる。

どうしようもない現実。しかし、感情だってどうしようもないのだ。
兄の悲痛な叫びも分かる、父の強い愛情と決意も分かる。
でもどうしようもない、二人ともどうしようもない。
観客としての私も、感情の洪水をどうすることもできない。
「お前達は終わった人間だ、必要ない」って、政府に、時代に言われるんだよ。そんなのどうしようもないよ。
顔面はマスクごとびちゃびちゃである。

スト破りの寄付
仲間からの寄付は小銭ばかりだ。だって皆失業中だから。当然だ。
かき集めても、学費どころかオーディションのための宿泊費にも届かない。
絶望感が漂う中、スト破りが現れ、多額の寄付金をビリーに渡す。
兄トニーは「汚い金は受け取らない」とその札束を投げつける。
スト破りは「この子のために」と言い残して去っていく。
兄が投げた札束を拾い集めたビリーが「このお金使っていい?」と父に問う。
父は絶句している。答えられない。
答えられないよねそんなの。他にどうしようもないのがわかっていても、答えられないよ。
それを見たトニーは「使え!ロンドンに行け!」と叫ぶ。
「俺達は負けた、俺達は恐竜だ」と言い捨てて去って行くトニー。
ビリーには未来があって、トニーにはそれがない。
前途多望な若者と言える年齢のトニーに、それがないのだ。
恐竜、と自分たちを評するトニーの絶望の深さ。
沈痛な空気漂う大人に囲まれて、ビリーが繰り返す。
「父ちゃん、このお金使ってもいい?」
父は許可する。

オーディション
父と二人でロンドンへ出かけ、オーディションを受けるビリー。
面接後のビリーのソロナンバーがこの舞台の代表シーンの一つだ。
歌もダンスも圧巻。
ビリーのダンスへの、バレエへの思いがダイレクトに伝わってくる。
ビリーのダンスを見た父は「あいつ、俺の息子なんです」の台詞で本当に誇らしげな、感極まった表情を見せる。
直後に面接官から「ストの成功を祈ります」と言われ、その表情がゆっくり沈んでいき暗転。
高揚感と絶望。温度差。情熱の熱さと現実の冷たさ。
振り回されてめちゃくちゃになった挙句に氷のような冷たい感触が胸に残る。

合格、別れ、出発
合格の知らせと共に、ストの終りの知らせが届く。勝利と敗北。
先生と別れ、兄と別れ、父と別れ、母の幻と別れ、最後に親友と別れる。
怒涛の別れ。
先生は「振り返っては駄目」と言い残す。
母の幻とは永遠の別れである。
兄と父は、敗北の後に炭鉱に戻る。
地下へ送られる炭鉱夫たちとの別れは、轟音と共に扉が閉まる演出だ。
この扉が閉まる音が。今も耳にこびりついている。

ビリーには未来がある。
大人たちには挫折と絶望と敗北が、それだけがある。


親友マイケル
ここまで全然触れてないけど、親友のマイケルはビリーに恋をしている少年だ。
彼は姉や母の服を着て「ドレス着ても誰も死なない、自分らしくいたいだけ、なにが悪いの」と歌い踊る。このナンバーも有名ですね。
ビリーはマイケルを信頼していて、マイケルの恋心を知り「俺はオカマじゃないよ」と言いながらも決して蔑んだり拒否したりはしない。
出発した後にマイケルが現れ、ビリーを呼び止める。ビリーはマイケルのもとへ戻り、頬にキスして「またな、マイケル」といい残し去る。
ビリーが舞台から降りて客席を通り去って行くのを、舞台上からマイケルが見送るのだ。
見送るマイケルが一人残った状態で、幕が下りる。
このラストが良い。本当に。
たとえ扉の閉まる残響が脳内に鳴り響いていたとしても、ここでほっと息をついて終わる。

長々と、衝動で書き綴ったけれど、本当は全然足りない。
なんだか辛いシーンばかりピックアップしてしまったが、全編通してコミカルなシーンが多いのもこの作品の特徴だ。
小刻みに笑わせてもらえる。気持ち良い。

触れられなかったけどおばあちゃんのソロナンバーも最高だし、
あとデビー。映画でも舞台でもデビーが大好きなんです、私。
デビーっていうのはウィルキンソン先生の娘なんだけど。
彼女の過酷な状況にも色々考えさせられるのだけれど、とにかくキャラクターが最高。

もしここまで読んで下さった方がいて、
ビリーエリオット知らないけどちょっと興味出た、という方が、
万が一いらっしゃったら、YouTube見て欲しい。
プレス公開の動画とかあると思うから。

小学生くらいの子供たちの、信じがたいダンス動画が観られますよ。

最後に、今東京公演は終盤になってますが、コロナの影響でまだ全然席取れると思うんですよ。
一応、念のため、おすすめしておきます。
そして、このあと大阪公演が控えています。

ちなみに今公演のビリー役は四人、マイケル役四人、デビー役二人、大人の主要キャストも大体Wキャストであることも書き添えておきます。
どの役者さんも素晴らしいけれど、当然一人一人違いますからね。

お分かりいただけましたでしょうか。
深ーい沼があなたを誘っています。



やばい、5000字超えた。信じられない。
やっぱり、なにがどうなろうと、好きなものは好きなんだな。

ここまでお付き合いくださった奇特な方に心から感謝します。
(果たしてそんな方が存在するのか・・・?)
ありがとうございました。

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