見出し画像

「人格ワードローブ」

悩む 悩む 悩む

人は常に悩む。小さなことから大きなことまで、悩む、悩む、悩む。
小さな時から大きくなっても、種類が変わるだけで、悩む、悩む、悩む。
特に、誰もが一度は悩むだろうと思っているのが、「人間」についてだ。
自分とは何か、自分が抱くコンプレックス、そして人間関係もそう。
わたしも人並みに悩んだ。
人間関係もだし、自分の立ち位置、自分がどうその相手に対して振る舞うか、自分はどういうキャラクターとして見られるのか、そして見られたいのか。
個人差があるかもしれないが、思春期にはそう言った悩みが特に多かった気がする。
今思い返しても、どうでもよくない?みたいな悩みも多いけれど、当時のわたしの悩んだ日々は、今のわたしになるには必要な時間だったんだろうな。
そう余裕こいている大人ぶったわたしも、また違った悩みは持ち続けている。

カメレオン

小さな時は、家族=社会だったけれど、外に出て行くことで、新たなコミュニティに入ることになる。
そうなると、わたしはそのコミュニティに合わせて自分を模索することになり、コミュニティごとにキャラクターの違った自分が出来上がってしまった。
例えば、家族の中でのわたしは、末っ子の何も出来ない甘えたれの娘。
外に出た生徒としてのわたしは、優等生だ。と思っている。
その中でも、学校の中でのわたし、クラスの中でのわたし、部活の中でのわたし、仲良しのお友達の中でのわたし、とどれも少しずつ違っていたと思う。
また、中学校時代のわたしも、高校時代のわたしも、大学時代のわたしも、新卒入社した職場でのわたしも、転職してOLになったわたしも、妻や母になったわたしも、人生の時期によって、どれも違っていたと思う。
時期どころか、目の前にいる相手によって、全てちょっとずつ色を変えたわたしを見せている。
まるでカメレオンのよう。
裏表ないことが良いこと、誰の前でも同じであることが良いこと。
何となくそう言う倫理観がはびこるせいか、カメレオンのようであることが、何か悪い意味を含んだ表現に感じてしまう。
実際に、わたしも相手によってキャラクターや見せる姿が違っていることに、自分に対しての不信感を募らせたり、悩んだ時期もあった。
一体どれが本当のわたしなのよ?って。
けれど、本当にそうなのだろうか。
たとえ環境で色を変えようが、カメレオンはカメレオンに変わりはない。
人だってそうじゃないのだろうか。
相手によって、そのコミュニティによって、自分を変えることは、自然に振る舞った結果であることが多く、つまりどれも自分に違いないのだと思う。
常に同じ自分である必要はない。
無理に演じる必要もない。その人の前で自然に出てきた自分であればそれで良い。
裏表だなんて、人はコインじゃないんだぞって。

どーれーにーしーよーうーかーなー?

毎日着る服をあなたは選びますよね。
わたしの場合、制服かってくらいその時気に入った服をヘビーローテーションで着るのですが・・・
服と同じように、人に見せる自分も、自由に選べばいいんじゃないかと思う。
人格のコーディネートをしたって良いと思う。
今日はどれにしようかな〜?って楽しく選んでも良いな。
人はそもそも多面体なんだから、少しずつ違っている自分を、それも自分、これも自分と、少しずつ認めていってあげることで、いずれ360度どこから見られても、「自分」でいられるようになるのかもしれない。
さぁ、あなたの人格のワードローブを思いっきり開けてみよう。
今日はどんな自分でいっちゃう???


それぞれの記事に使用している絵画は、下記のonline shopにて販売も行っております。
絵画は随時UPしていきますので、宜しければご覧ください。

また、記事やプロフィール画像に使用出来る絵の制作も承っております。ご質問やご不明な点がおありでしたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。お話を伺いながら、あなたらしい絵を一緒に創り上げていきましょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?