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掌編小説:フィクションの人

 手紙がとどく。山になるくらい、どっさりと。
 寝ぐせのわたしは、玄関の靴のそばに落ちて土ぼこり・砂まみれになったそれらを一つひとつ拾いあげていく。上等の、ステキなクリーム色の封筒のそれは、ほんとどっさり、バケツ一杯ぶんくらいある。
 一通目の手紙にはこう書いてある。

 あなたのことを
 好きになってしまいました
 だから届く
 水星の恋文

 すっぴんのわたしは封印を破って他の手紙もぜんぶ読んでく。「あなたのことが」、「あなたのことが」、「あなたのことが」。「好きになってしまいました」、「好きになってしまいました」、「好きになってしまいました」。ぜんぶにぜんぶ、「手書き」でおんなじことが書かれている……恐ろしいほどにふわりとしたステキな字だ。
 うきうきになって、バッグひとつで飛び出したわたしはそこで初めて理解する。住んでる寮の全部屋、すべての郵便受けに、おなじ手紙がきていることを。
 ほんとどっさり、と。あの子もあの子も。みんな、手紙のかれに愛されてる。廊下で全員、輪になってがやがや手紙をくさして色めいている。高い声を上げて笑ってる。バランスを失った花瓶がテーブルから落っこちていくように、わたしはばらばらになる。砕かれる。

 ときどき思う
 あなたの丸み
 腿のふくらみ
 人間の柔肌
 僕は好きになってしまいました
 だから送る
 水星の恋文

 エラーメール第二号にはそう書かれている。今回もどっさり。お気に入りのパンプスは便箋のくず山に埋没してる。わたしはシャベルをもってきてせっせと紙束を掘り起こす。さっさとゴミ袋に入れてまとめる。もう前回ので”知ってる”。わたしが、わたしだけが、”限定で愛されている”わけじゃないこと。それに、かれがヤりたい盛りの、”水性人”だってことも。
 そうした二つの現実は、わたしをやりこめるのに十分。
 廊下に出るとみんながみんな水星人の噂をしてる。
「もううんざり」とにやけた顔をちらつかせながら。

 でもわたしはぜんぶは捨てられない。最初のも、二回目のも三通ずつ残している。観賞用、保管用、持ち運び用。講義のときにそそくさと出て、トイレにこもって読み返す、人生初めての恋文。かれの詩と、その手製フォントがわたしの心をノックする。指でなぞれば、胸がどきどきと真っ赤に高鳴る。
 だからわたしは待っている。深夜。投函しに来るはずのかれのことを。
 寮の廊下には冷たい壁にもたれかかってる他の女の子の影も見える。でも、もちろんかれは”水星人”。手紙のなかの”フィクションの人”。わたしたちがいくら待とうと現れない。
 たとえ、不安と期待が最も高まる深夜になっても。
 ただただ白い、答え合わせのような朝日が差しても。

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