詩・掌編小説:森の生活
母さんは「そんなことできない」って、口酸っぱく、ほとんど朝のスズメみたいになんども言ってきたけど、いま思うと笑ってしまいそう。わたしとあの子はこっちで元気にやれている。たしかに、すこしだけ森の奥に住んでいて、去年の二月には石油のために四時間も冬の森を歩いたけれど、それでも三年が経った。ねえ、三年よ? 大丈夫。きっとわたしたちは最後までここで暮らしていけるのよ。
森での生活は大変なことばかりじゃないわ。本当よ。母さんの忠告を踏みつけてしまえるくらいに。
わたしはここに来てから多くのことを知ったわ。あの子も多くのことを知ったでしょうね。もちろん、知識には多くの形があって、わたしが知る森なんて、無数に存在する観点の、たった一つのちっぽけなものに過ぎないわ。そう。昔の暮らしで、あなたがよく言っていたように(それでわたしたちはひどいことになったのよね。でも、いまではわたしがこんなふうに語ってしまうの。これは、あなたがわたしを変えたってこと?)。
森でいちばん素敵なことは、木に花が咲くことよ。こんなことを言ったら変かもしれないけれど、わたし、これまでは木も花を咲かせるって知らなかったの。あの子はその季節になると、そんな木の下生えで昼寝をするわ。がっしりした、自然の大動脈のような木々の根をまくらにして。夕暮れに迎えにいくとき、木のしろい花はあの子を囲むみたいに落ちているの。ついさっきまで生きていて、『かごめかごめ』の遊びをしていたみたいに。
ときどきあの子があなたの服を着るの。
ねえ、わたしはこれが話したかったのよ。
本当はこれだけでよかったのよ。
手紙って、だめね。
とても普通の日。明るい季節の、優しく温かい日。わたしが洗濯物を干していると、あの子がいつもみたいにふらっと家の裏手から出てくるの。気まぐれに、草を踏んで遊んでいるのね。
それで、あなたの服を着ているの。あなたと同じくらいに大きくなったあの子が、あなたの顔つきを若干のこしたあの子が、首のまわりが黄ばんだワイシャツや、季節外れのラガーシャツを着て、日のあたる草むらに遊んでいるの。
わたしは、呼び止めて、それであの子に言うの。「だめでしょ」って。
「服のこと」って言うの。
ぼうっとこっちを見るあの子を見つめ返すの。
じっと見つめるの。
しばらく経って、ようやくよ、あの子は恥ずかしがるの。身体の芯からぶるぶる震えて、頭を掻きむしって。ちゃんとわかるのね。すぐに服を脱いで、裸のままで家に戻っていくの。それで、あの子の服を着て出てくるの。
「ごめんねママ。さっきはまちがえちゃって」みたいな、ばつの悪い表情をして。
わたしがそのあとどんな気分になるかわかる? あなたの姿をしたあの子に「だめでしょ」って言うときのこと。あの子が草むらに脱ぎ散かしたあなたの服を拾い集めるときのこと。影になってる白いポーチにあの子がまた出てくるときのこと。そのときまでに、わたしは元のわたしになってなくちゃいけないのよ。
わたしは「だめでしょ」って言えたたちじゃないのよ。
わたしもあなたの服を着てみたのよ。
ねえ、想像してみて。小窓から光が差しこんで、それでも暗い屋根裏部屋で、木箱をあけるときのこと。埃が暗がりのなかできらめていて、その中心にあなたの服が折り畳んで収められているの。
わたしは服を両手でとるわ。ゆっくりとした所作で、近づけていくの。鼻の先から、口元まで。顔をすっかり埋めてしまうの。
少し、服のにおいをかぐ。
立ちあがる。服を広げると、また埃があがるわ。頭をあなたの服の暗闇のなかに突っ込んでみる。右手と左手は、袖をもとめて不器用にさまよう。
そして頭と両腕を通したあと、裾をひっぱって直してから、わたしは小窓に近づいてみるのよ。
光の下、緑の上で遊ぶあの子がいる。木の根元でぐっすり眠っているあの子がいる。
絶対にこんな姿を見られるわけにはいかないわ。
あなたの服を着てそう考えているわ。
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