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【HSP】他人とチャンネルを合わせすぎて自分がわからなくなる

いろんな人間とチャンネルを合わせていたら「あれ、もともとわたしってどんな人間だったっけ」って、自分を見失うことないですか?
わたしはあるんです
だから、こんなテーマでnoteを書いているんです。
「前にも書いてたかも」と思って自分のnoteを読み返していたんだけど、ここでも同じようなことが書いてあったよ。

そもそものわたしの考え方の傾向としてあるのは「敵をつくりたくない」というもの。
敵をつくるくらいなら、お互い無関心のほうが居心地がいいと思っているから、平和主義とはちょっと違う。
なんなら、好意ですら居心地が悪い
他人のせいで心が波立つのがとても嫌なのね、わたし。

で。
敵をつくらないために、心が波立たないために何をしているのかというと、それがタイトルにもあるとおり他人とチャンネルを合わせること。
相手がイメージしている「おにのすけ」に、わたしを近づけていく。わりと特技だったりする。
物心ついたころからいろんな人の顔色を窺ってきた努力の賜物だね。
言い方を変えるとね、相手の期待に沿うってことなんだけどね、かっこいい言い方したほうが自己肯定感アガるからね。

相手の問いかけに対して、どう答えるのが相手にとっての正解なのか、を探すのがとっても上手なんです、わたし。
たとえば。
職場のリーダーの働きぶりについて、ふたりの人間から「おにのすけさん、新しいリーダーをどう思う?」と聞かれたとしましょう。
Aさんは新しいリーダーに好意的な人間で、Bさんは否定的な人間です。
AさんとBさんから、リーダーへの感情について直接言葉で聞いたわけじゃないけど、賛否くらいはなんとなくわかる。
毎日顔を合わせていると「この人は、あの人のこと好意的に思っているな」とか「あの人はこの人のこと好きじゃないな」とか、わかったりしない?
わたし昔っから頭の中に組織の人物相関図をつくるのが得意だったんだよね。
その相関図にいっつもわたしはいないわけだけど。

リーダーに好意的なAさんには「とてもお仕事がしやすくていいですよね。最前線のこともわかってくれていますし」と好意的に答えます。
逆に、リーダーに否定的なBさんには「前のリーダーが長かったこともありますし、なかなか慣れませんよね」と(ちょっと)否定的に答えます。
わたしの答えが相手の答えてほしい言葉だったことで、ふたりとはにこにこしながら会話を終えることができました。

さて、みなさま。
Aと問われれば「A」と答え、Bと問われれば「B」と答える。
じゃあ、あなた自身はどう思っているの?」と問われれば答えに窮する。
こんな人間が行きつく先はどこでしょうか。
想像に難くないですね。……想像したくないですが。

他人とチャンネルを合わせすぎたせいで、わたしはわたし自身の意思や思いや答えを見失ってしまっている。
これは、マズい。
付和雷同で唯々諾々で八方美人。自分の答えを持たない人間はどこかで痛い目を見るのです。
そうなる前に、変えていかなければ。

今回は、そんなお話。




この手のテーマで記事を書くとき、決まって主張していることがある。
それは、「けっしてわたし自身の意見がないわけじゃない」ということ。
でもね、幼いころからいろんな人間に否定されたり、なまじ頭が回ったりするわたしみたいな人間はね、自分の意見を自分で論破して否定することがクセになってしまっている
さっきのリーダーのたとえを使いまわすとすると、わたし個人的にはリーダーに否定的な感情を抱いている
現場から管理職になった人間が現場の視線を忘れていく過程を観察するいいサンプルになっているわけだけども。まあ、それ以前にもともとそいつが嫌いだったっていうのもあるけど。
ええ。あくまでたとえ話ですよ? 妙にリアリティがあるとか気にしない。
そのリーダーが、前線の人間からすると無茶苦茶な規則を押しつけてきたとしても、その意図を理解できてしまうというか。
規則に対して、わたしが「夏の暑さで脳みそ茹ったんですか?」と反感を抱いていても、冷静になると「まあ、そういうことなら仕方ないかも……」といつのまにか自分を論破している。
この「自分の論破」も「他人とチャンネルを合わせる」ことと同義だとわたしは思っている。
だって、自分の意見を押し曲げて、相手の正解を見つけようとしているんだから。
無茶苦茶な規則が発令されて反感を抱きながらも、冷静になって自分を論破したあとにその嫌いな管理職を前にしても、わたしはにこにこしながら「おつかれさまでーす」と言うのであろう。というか、言っている。
共感性が高いとか、相手の気持ちがわかるとか、そういう情緒的な部分が長けているというのも考えものである。

共感し続けて、相手の気持ちを考え続けて、その結果自分の気持ちがわからなくなっていてはどうしようもない。
なあ、聴いていますか、全国のHSPやらINFJのみなさん。
あなたが第一に考えるべきなのは、職場の嫌いな上司の気持ちでも、いつもマウントを取ってくるキショい友だちの気持ちでも、どうでもいい野生の人間の気持ちでもない、あなた自身の気持ちなんです
どうでもいい他人の気持ちばかりを優先していたら、そのうち自分が壊れてしまう。
わたしもわかっているつもりだし、noteで何回もおんなじようなテーマで書いているんだけど、なかなか実行に移せない。
困ったもんだ。
でも、実質家族よりも長い時間をともにする人間に嫌われるのって、めちゃくちゃな損失だとわたしは考えているんだよね。
そんな損失をするくらいなら、自分を犠牲にしちゃうよね。
まいっちんぐだよ、ほんとうに。




どうにかして、自分を大切にする術を身につけたい
どうしてわたしは、どうでもいい人間のことばかりを大切にしてしまうんだ。
やつらがそれに気づいて、お返しにとわたしを大切にしてくれるわけでもないのに。
人間だよ? そんな気持ちに気づくわけがないんだ。
そうだ、他人の感情が自分の内に入ってくるような環境に身を置いているからいけないんだ
他人とかかわらないお仕事に就いて、自分のペースで進められるお仕事を選べばいいんだ。
そういう視点で見ると、いまのお仕事はたぶんわたしには向いていない。
人間とかかわらなくていいお仕事がしたい。
INFJとかHSPの適職ではお馴染みの宗教家哲学者クリエイターなんかいいんじゃない?
その気になれば、前のふたつではそこそこいい結果を残せるかもしれない。
でも、できれば文章をお仕事にしたいと思いました。

今回はこんな感じ。おつかれサマー。
最近人間への嫌悪感がすごいです。これが他人だけじゃなくて、自分にも向いているから救えないんですよね。
みなさま、よきたとえ話ライフをお過ごしください。