人を動かすために必要な「導く」という視点。宗教の話じゃねぇよ?

人に何かをやって欲しいときに、それを言葉で伝えてみる。それは正しいことではあるが、言われた側がそれをしなかったり、こちらを疎ましく思っているようなら、こちらの出方を考えなくてはいけない。

例えば先日、母が父のことを「もっと趣味を見つけたり、なんでもいいから生き生きと行動してほしい」「家にいる時間ほとんどゴロゴロしてるだけ」とボヤいていた。これは、息子としても心配である。オレも父には無気力でいるより、日々を少しでも楽しんで生活して欲しいと思う。

ただ、だからといって「もっと、運動しなよ」とか「趣味を持って仲間を見つけなよ」と言ってみても仕方がない。妻や息子からそんなことを言われたところで、「うるせぇな、そんなこと言われんでもわかってるわ。でもやりてぇことなんかねぇんだよ」くらいのもんだろう。

こんな時に大切なのが、「導く」という視点かもしれない。これをやりなよ!と伝えるのではなくその人に、これをやってみようかな!と思わせること。これは、他人を動かそうとする際にとても大事な視点。

1つ物語のエピソードを紹介する。細かい所は間違ってるかもだけど、大体のスジを書くね。

トムソーヤが壁のペンキ塗りをおばさんに頼まれた時の話。トムはめんどくせぇなぁ、他の誰かやってくんねぇかなぁ、くらいに思ってた。んで、その時学校の友達が家の前を通りかかった。トムはそのとき、「おい、おまえら代わりにこれやってくんね?」とか、「手伝ってくれよ」などと言わずに、とにかく楽しそうにペンキ塗りをしている自分の姿を友達に見せた。そしてら、友達が「トム楽しそうじゃないか!オレにもやらせてみてよ」と言って、代わりに友達がペンキ塗りをし始めた、と。トムは頼むことなく、友達にペンキ塗りをさせることに成功した。というエピソード。細かい所、間違ってるかもだけど、大体こんなエピソード。

この時のトムソーヤになることが、オレたちも大切なんだよな、と。トムはこれやれあれやれ、と言葉で言わずに、仲間をペンキ塗りに導いたのだ。

これは、言うが易しで実践となると中々難しいかもしれない。だけど、この視点を自分の私生活の中に取り入れることで、人を動かすことに役立てられる。悪用はいけない。あくまでも、良い方向に使おう。

そんなオレは、嫁さんが持病があって、この先の健康のために少しでも普段から運動して欲しいと思ってた。トムソーヤを参考に、オレはまず自分が家で毎日筋トレを始めた。YouTubeでトレーニング動画を見ながら、はぁはぁ言って腕立て。時間にしたら大したことない、毎日15分くらいの運動。それが終わった後に「あーやっぱ運動すると、気持ちいいなぁ〜」「スッキリするわぁ〜」などと毎日言ってみた。

それを続けて1ヶ月くらい経った時、なんと嫁が「私もやってみようかな」と、言い出したのである。これマジの話で。「運動しなよ」と言わずにオレが楽しそうに運動している姿を見せ続けた結果である。それから、嫁もYouTubeで簡単な運動だけど、時間のある時にやるようになった。オレが一番驚いているが…。これが、「導く」という視点だ。

もちろん、100発100中とはいかないし、相手が動いてくれることに、過度の期待を持つこともNGだ。いつまでも、動き出さない相手にストレスを感じないためにも。人にやって欲しいことは、それを楽しんでやってる自分の姿をとにかく見せ続ける。そしてタイミングを待つ。

母のそんなボヤきを聞いたあとで、父と話す機会があった。男同士だから大した話はしない。その中で、「最近、釣りにハマっててさ。まだ釣れてないんだけど、まぁ楽しいんだわ」みたいな話をした。会うたびに魚釣りが楽しいと伝え続けた。そしたら、「オレもやってみようかな」と親父が言ったのだ。

マジか!だったら、さっそく今度タイミング合わせて出かけようぜ!と。鉄は熱いうちに打て、である。このタイミングを逃してはいけない。いかんせん腰の重い父だ。竿は持ってたっけ?というと、持ってない、と。だったらプレゼントしてやるよ、と言って昨日のことだが休日を利用して父に新品の釣り竿をプレゼントしたところだ。

親孝行な息子だろ?と言いたいのじゃない。オレは自分のためにこれをやってる。父に、元気でいて欲しい、と願う自分のためにやっている。趣味を見つけてよ!と言葉で伝えるのではなく、父に「オレもやってみようかな!」と思ってもらえるようなことの、種を蒔く。今回は魚釣りだが、まだ他にも種を蒔き続けていこうと思う。

さしあたり、魚釣りに親子で行くのが楽しみである。その時に親父にとことん楽しんでもらわなくては。つまんねぇなぁ、と思わせるわけにはいかない苦笑。


あ〜、金麦飲みてぇなぁ