おはよう。他人の寄せ集めである、自分を鑑賞し、楽しむ

おはよう。6:45起床。目玉焼きを2つ昼の弁当用に焼いた。ウィンナーが冷蔵庫の中に入っておらず、仕方ない。今日の昼のおかずは目玉焼きだけだ。別にいい。食に娯楽は求めていない。

最近、モネの画集を図書館で借りてきた。図版を見ながら、すげー、と息巻いている。画家の目に映る世界のありようが、画家ごとに全然違うことの面白さ。モネの絵の素晴らしさはなんだろうか。

チョンチョンチョンチョン、筆をキャンパスの上に優しく叩きつけるように描かれた色彩。淡い色味と光の加減が特徴的だ。小学生の夏休みの朝を思い出させる。何もかもが瑞々しくて、期待に胸が高揚していくような気持ち。モネの絵を通じて、そういう自分にたどり着く。

作品が残って、それが鑑賞者の気持ちを通じて、新しい風景を呼び起こしていく。不思議なことだなぁ、と、凡庸なことを考えている。絵画の歴史のことは知らないし、芸術史におけるモネの功績などはわからない。

それでも、印象派と呼ばれる人たちの絵には、惹きつけられる自分がいる。モネ、ゴッホ、ピサロ、シスレー、マネ、有名どころで今さらオレが言うこともないが、とにかく素晴らしい。

オレは趣味で絵を描いている。自分の楽しみのためだと言っておきながら、やっぱり人に褒められると嬉しくて、次を描く力になる。自分を単純な人間だと思う。単純だからこそ、自分が何やれば自分が喜べるのかも分かりやすくて助かる。

モネの絵を見ながら、描き方を真似してみる。なんとなくそれっぽい雰囲気が出る。自分の中に、モネの技術のカケラが落とし込まれていくのが分かる。モネにはもちろんなれないけど、モネをパクってそのエッセンスを自分のものにすることはできる。

絵に限らず、自分とは他人の寄せ集めだな、といつも思う。思想において、技術において、何もかも他人からパクったモノ。自分に定着するものしないものがある。スクラップノートみたいに自分の中に、他人の切り抜きをコレクションしていく。

コレクションの中にたくさん出てくる人、たまーに出てくる人、がいる。自分への影響力の濃さに応じて、さまざまな人の切り抜きが顔を出す。それが面白い。

ここでnoteを書く「行為」も、その「内容」も、他人の切り抜きでしかない。誰それがやっていたことや、考えていたことの、カケラを自分なりにやっている。自分とは、他人をどう切り抜いて生きていくかのような存在だな、と思う。

であれば、切り抜きの対象となる他人は、なんとなくではなく、自分の直感にしたがいつつも慎重に選びたい。オレを喜ばせてくれる、清々しい気持ちにさせてくれる、そういう人たちの発信や作品に触れる。誰か1人に大きく傾倒するのではなく、少しずつつまみ食いをさせてもらう。

新しい自分と出会い続けることが、人生を楽しくする。一冊の本であれ、繰り返し読み続けるうちに、引っかかるポイントが変わる。それは自分のささやかな変化を意味する。新しい自分が生まれている、ということ。それに気がつける自分でいること。気がついて、見つけて、それを楽しむ。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ