一家の顛末 6

山林を処分できて少し落ち着いたころ。

あとは隣町の土地家屋を何とかすればいいだけだと少し前向きになった私は午前中に家事をすべて終えて義父の遺したCDコレクションを買取査定へ出すべく箱詰めしていた。

160サイズの箱にどんどん詰めていく。
10箱以上にはなりそうだ。
単純作業は苦にならないので、黙々と作業をしていく。


スマホが鳴った。
見覚えのない番号。

出てみると、隣町の土地家屋の件で見積もりを依頼した造成会社のうちの1件だった。
確かここは、見積もり依頼のメールを送信した後すぐに電話で連絡をくれたところだった。

電話相手の男性は気まずそうに話を切り出した。
「査定依頼をいただいた土地なんですが、調べたところ2区画ほど土地が取れそうではあるんですが・・・弊社では買取できそうにないんです。・・・すみません。」
と、仕事とはいえ本当にすまなそうに歯切れ悪く言っていた。

私は思わず聞いた。
「タダでもですか?」
「えっ?」
驚いたように男性が声を出す。

私は土地を手に入れるに至ったいきさつを男性に説明し、土地がお金になるとは到底思っていないこと、持っていても私たち自身は転勤があるので有効活用できないこと、本当に困っているので土地をもらってくれるのならお金はいらないし逆にお金をいくらか払ってもいいことを伝え、助けてほしいとお願いした。

男性は少し考えて「わかりました、でしたら弊社でも引き続き検討をしてみます。」といって電話は切れた。
本当に検討を続けてくれるのか分からないし、再び連絡をくれるのかはもっと分からない。


気まずい断りをメールで済ませずにわざわざ電話をくれたのだから、信じたい。でももう傷つきたくない・・・。

色々な気持ちが交錯したが、すべてを押し殺して私はCDを箱詰めする作業に戻った。



CDがパンパンに詰まった棺桶のように大きな箱が12箱、輸送会社のトラックに積み込まれ、夏の青空によく似合う輝く笑顔の運転手から分厚い伝票を受け取った午後。

インターホンが鳴ったので出てみたら、先日に隣町の土地家屋まで一緒に行って現地調査してくれた造成会社の男性だった。
相変わらず物腰柔らかな笑顔で挨拶してくれた彼は、土地について何か報告をしに来たのだろう。


報告内容は、

土地の造成を建築士に見積もり依頼したところ、造成販売するなら4区画は取れそうだった。
しかし最近始まった戦争の影響でコンクリートが高騰しており、構造的に安全な造成をしようとすると工事に2,000万円はかかる。
会社としてはあのあたりの土地の販売実績があまりなく、需要が読めないことに加え造成費も思ったよりも高くなってしまったので着手に踏み切れそうにない。


そういった内容だった。
ほんとうに申し訳なさそうに報告してくれた。

メールでも電話でもなく、わざわざ対面で報告してくれた事実に誠実さを感じるし建築士に見積もりまで取ってくれたのだ。
隣町の土地家屋のために時間とコストをかけて調べてくれたに違いない。

がっかりはしたが不思議と怒りの感情は出てこなかった。
最後に「周囲の土地より販売価格をグンと下げて、仲介で出したら売れるかもしれません」とは言っていたが、法定で販売価格の6%までしかもらえない仲介手数料の取り分がガッツリ減ってしまう不動産会社がそんな話を受けてくれるかは分からない。

去っていく男性の背中を見送りながら、先日山林と一緒に市役所で調べた隣町の土地について思い出した。


山林に擁壁が含まれるかもしれないという話が出た時、山林の地番で擁壁の建築申請が出されていないか調べてもらった。
その時一緒に、隣町の土地の地番で建築申請が出ていないかも確認をした。

家屋はそもそもの登記がされていない「未登記家屋」であることは既に知っているので、出てくるとしたら倉庫か擁壁かの申請があると思ったのだが何のデータも出てこなかった。

こんな大きな擁壁、いくらコッソリ作ろうとしても絶対市役所にバレるだろうに何故申請が出ていないのか?
首をひねりまくる私に係の男性が「大規模な開発で地域まるごと一気に造成された場所なら、違う部署に申請が出ているかもしれない。そちらで聞いてみてはどうでしょう?」と提案してくれたので、都市開発などの申請を受ける部署へと移動した。

しかし、そこでもデータはなく担当の若い今風の男性から「このあたりは市道なので道路を管理する部署に確認してみたらいいかもしれない」と言われ道路を管理する課へ。

そういえば、義父の遺した資料の中に「隣町の土地と市道の境界を確定するための立ち合い要請」の手紙があったが、道路を管理する課が発行していた気がする。
ちょうどその手紙を持っていたので道路を管理する課の職員へ手紙を見せながら何か資料など残っていないか聞いてみたところ「ここだったら、大規模な道路建設工事があった所なので道路を企画建設する課に聞いてみたらいいと思う。」とのことだった。

流れに流れて、というかたらい回しにされている感も否めないが行き先がループしていないのでまあ大丈夫だろうか・・・そう不安になりながら道路を企画建設する課へ行き、用件を伝えて案内されたテーブルで結果を待った。


課の中では若手だろうが、私よりも歳上らしい男性が分厚いキングファイルを持って向かいの席につき、挨拶をした。
改めて隣町の土地所有者の家族であることを証明し、義父が遺した古い手紙も見せつつ擁壁を調べていることについて説明した。


職員が教えてくれたことは以下の通りだった


ご所有の土地の下を通る市道はもともと1台しか車が通れない道だったが、周辺に住宅街が出来たので交通量がかなり増え、このままでは事故が多発するという懸念から一帯の市道を拡張する工事が昭和40年代に行われた。

道路拡張のためにご所有の土地を削って道路の車線を増やしたので、擁壁はその時に市が設置したものだ。
また、持っていた手紙の通り平成初期に側溝の整備のため土地と道路の境界を確定させ側溝を整備した。

しかし、昭和40年代に作成した擁壁の設計図等は保存期間が過ぎており破棄されてしまったようで、今では何も残っておらず伝えられることはない。


「すみません」そう申し訳なさそうに言いながら話す職員はニコニコしているが、これ以上何も話す気はなさそうだった。
それでも気になったことが私にはひとつあった。

「昭和40年代に夫家が所有する土地を削ったんですよね?土地は長らく相続登記をされていなかったので所有者を調べても、大正時代に亡くなっていた高祖母の名前しか残っていなかったはずです。祖父も既に亡くなっており、当時の所有者の義祖母と義父兄弟は土地とは離れた別の場所に住んでいました。登記もされておらず所有者に未成年が複数含まれるこの土地はいったい誰に許可を取って面積を削り擁壁を設置したのですか?補償金はいったい誰に払ったんですか?」

職員はニコニコ顔を崩さずに「それも分からないんです、すみません」と取り付く島もない様子だった。


終始ニコニコと張り付けたような笑顔でこの場をやり過ごそうとする職員の態度は癪に障ったが、何も彼が悪いわけではない。
この工事は彼が入庁するよりも遥か昔に行われたものなのだ。

彼一人を怒鳴りつけるのはあまりにも理不尽に感じられたし、周囲の職員は見て見ぬふりを決め込み叫び終わった私がこの場に見切りをつけて立ち去るのを待つだけだろう。もしかしたら何もかも終わった後にしらじらしく彼をフォローするかもしれない。

客の感情はやり過ごす。現場の人間はそれしか選択できない。サービス業とはそういうものだ。
私もそういう仕事をしていたので、何を言っても結果は変わらないと知っていた。
でも、ここで感情のままに怒りをぶちまけられるほど無神経でいられたら私ももっと生きやすかったに違いない。


とにかく、何も収穫はなかった。
造成会社からも見放されてしまった今、完全に行き詰ったのだ。



それにしても、市は誰に許可をとって擁壁を設置したのだろう?
確か、隣町の土地に建つ曽祖父の家に対する固定資産税の明細書では昭和44年に建築されたと読める表示があった気がする。

大正時代に亡くなった高祖母は隣町の土地にかつて建っていた家で亡くなったと戸籍謄本には書いてあったし、市が擁壁の設置をした時に家を建て替えた?
しかし、その家は「未登記物件」という法務局に登記がされていない建物だ。

田舎の古い家にはこういう「未登記物件」がちらほらあるらしいが、何故未登記なのかというと銀行などからローンを借りずに現金払いで大工に依頼して家を建てる者が多かったからだ。
銀行はローンを貸すときに建物の登記に「抵当権」という表示を記録して建物を担保にお金を貸す。だからそもそもの建物を登記しないとお金を貸してくれない。

登記をしていない建物は、銀行でお金を借りずに現金で建てられた可能性が高い。
大工に継続的にお金を払って建てたのか、一括で払ったのかは分からない。
しかしこの田舎の山中で、子どもが7人もいた曽祖父は間違っても余裕のある生活はしていなかったように思う。


疑念が浮かぶ。
曽祖父は、どこから家を建てるほどの大金を調達したのだろうか。
市役所は、土地を削った補償金を誰に払ったのだろうか。

・・・本来の土地所有者であった義父は、未成年で父親を亡くしたばかりの当時、家族とどんな生活をしていたのだろう。



その後は、何か打開策はないかと色々な不動産店に相談した。
ここで諦めたら試合終了ですよ。ネットでさんざんネタにされて笑いのネタにすらなっているそんな言葉が頭に浮かび、ふっと暗い笑みが出ることもあった。

諦めたら、試合どころか人生が終わる。
絶対に諦めるわけにはいかない。どんなに疲れていても、歩む足を止めてしまったら再び一歩を踏み出すのに物凄い気力を要するようになってしまう。

ここで立ち止まって人生が潰れるのをただ待っているわけにはいかないのだ。

どんなに望みがなくても、冷たくあしらわれても、無駄足でも、行動を止めることはできない。


このころになると、近所の擁壁を見るたびに身の縮む思いがして動悸がするし、頭痛もひどく、日常の何気ない場面でも突然大量の汗が出たり血の気が引いて体が動かなくなったり滅茶苦茶だった。
私の体はとっくに限界だったが、それでも動き続けた。

止まってしまうと、本当に死んでしまうんじゃないかというぐらい追い詰められていた。
夢に夫の祖母が出てくることが増えた。もう疲れた。
それでも毎日、目が覚めて現実は続いていく。


色々な不動産に声をかけるので、残りの選択肢がどんどんなくなっていく。
県内の不動産店のリストが打消し線だらけになって行動すらできなくなっていく。

怖い。
打消し線を引く手が重く、息が乱れる。


とうとう最後の不動産店に電話をすることにした。
そこはインターネットで見つけた不動産店で「どんな土地でも買い取ります!」と黄金色に光る文字がホームページに表示されていた。

会社概要の加盟所属団体には「全日宅地建物取引業協会」とある。
会社所在地の県以外にも全国の不動産を取り扱える不動産店のようだ。


ここで断られたら、本当に後がない。
どんな土地でも買い取ります、そんな言葉が表示されている不動産会社はめったにない。

そう表示してある会社は今までいくつか見てきたが、普通に買取を断られた。
それでも、数ある不動産店のなかでも希望がある方の会社なのだ。

もし断られたら私の心が粉々に砕け散ってしまいそうで怖くて、最後まで電話ができなかった。



ワンコールで男性が電話に出た。
私は緊張と恐怖でしどろもどろになりながら困った土地を処分したいと告げた。

会社の代表を名乗るその男性は気さくな話しぶりで土地の場所を聞いてきた。
この土地の場所を伝えて、ダメだったらどうしよう―
そう思うともう限界で、土地の住所を男性に伝えながら、こらえきれず泣いてしまった。

すみません、そう何度か言いながら何とか土地の住所を伝え終わり、男性がグーグルマップとストリートビューで土地を確認している間に涙を落ち着けた。


男性は確認したいことがあるといい、言葉をつづけた。
「この土地の周辺で他に家はありますか?」
「土地の周辺は小さな住宅街ですが、周囲に大きな住宅街が2か所あります。中には新築の家も見られます。」

「この土地がほかの業者さんに断られてしまった理由は聞かれました?」
「はっきりと聞けてはいません。皆さん土地の坪数を聞いたらもっと話を聞きたいと来てくれるんですが、実際に来て擁壁を見ると去ってしまいます・・・」

ははっ、と男性は明るく笑った。
「確かに擁壁は大きいですね、これは新しくしようと思うと、うーん、1,500万円はかかりそうですね~大変だ!そうですね、周囲には綺麗な住宅もあるし、車も入るし、擁壁もしっかりしてそうだし・・・大丈夫!買いましょう!」



普段何気ない生活域、毎日通過する駅。
そこですれ違う「よくいるような普通の人」が実は他人の人生を大きく変えて希望を与える仕事をしているのかもしれない。

ただ電話をかけて、5分ほど話しただけなのでどういう人なのかはわからないが。
それでも私たちは確かに救われたのだ。



男性には土地の登記簿謄本と固定資産税明細、土地に建つ空き家の間取り図の画像をメールで送ってほしいと言われたのですぐに送信した。

夜までに返事が来た。土地には畑が含まれており畑のままでは取引が煩雑になってしまうので相続登記をした司法書士に依頼して土地の種類を畑から宅地に変えてほしいということ、未登記状態の空き家を夫名義で登記してほしいことと、土地の買取金額が決定したということだった。


金額は、土地の固定資産税の金額を決める基本資料となる路線価格や実際の取引を反映した実勢価格より相当低く、まさに破格の値段だった。
それでもこの土地を手放して、起こりうるリスクを回避するためなら例え逆にお金を請求されても喜んで払って手放す。

それぐらい私たちはこの土地を持て余し、怯え、苦悩していたのだ。
それに実勢価格も大した金額ではない。本当に売れない地域なのだ。
私たちがこの土地を破格の値段で売り、実勢価格は更に下がるかもしれない。おそらく周囲の土地の市場価値に傷をつけることになるだろう。

例えそれで責められても構わない。どうあっても助かりたい。強くそう思った。
なので、男性が私たちにお金を払ってこの土地を買ってくれる。その事実に私は驚きすらしていた。


早速翌日に司法書士事務所に連絡をいれて提携の土地家屋調査士を紹介してもらい、現地で待ち合わせをした。
快晴の夏、分厚い入道雲が遠くに低く浮かび蝉がその短い人生を謳歌するなか私たちは隣町の土地へ向かった。

今日も土地はしっかりとその形をとどめており、私たちを安心させてくれた。
空き家の登記と、土地の地目変更が終わればこの土地を手放せる。
気持ちは明るかった。


現地で土地家屋調査士と行政書士に挨拶をして、必要書類を渡す。
空き家の中を案内し画像を撮ってもらい、倉庫も見せた。
おおよそ私たちの役目が終わって土地家屋調査士が登記簿謄本や固定資産税に関する書類を確認していたが、ふと手を止めた。

「これ、空き家はご主人の名前で登記できませんよ・・・」
「え?」

「固定資産税の請求書が曽祖父さんの名前あてに来てしまっています。家は未登記ですが、曽祖父さんの建物という扱いになってしまっているので曽祖父さんからご主人へ相続手続きを行わないと所有権保存登記はできません・・・。建物自体を登録する表題登記まではできるんですが・・・」


表題登記とは、床面積や築年などの建物の基本情報を登記するものだ。
それは建物の所有権を証明するものではなく、ただ「こういう建物がここにありますよ」と知らせるだけのものになる。

固定資産税の通知が曽祖父名義ではなく、義父名義であればそのまま夫が所有権保存登記をできたのに、未登記の建物だからそのまま登記できると思ったのに。
こんな落とし穴があったなんて―


「そ・・・それじゃ意味がないんです!」
私は真っ青になって小さく叫んだ。

「夫が所有権を取得しないと購入者に引き渡しができないから、困るんです!」


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