一家の顛末 7

2歩進んで1歩下がる。
こんな残酷な1歩があるだろうか。


曽祖父が勝手に敷地に建てて、曽祖父の死後には相続登記もされずに捨て置かれた空き家。
使える時は散々使って、利用価値がなくなったらそのままポイだ。

擁壁は劣化して、法律はどんどん変わって、時を経るごとに土地の処分が難しくなってしまうというのに。
義父が土地の所有権保存登記した平成11年にはまだ需要があって、欲しいと声がかかっていた土地だと聞いたのに。

その時はまだ「売れる土地」だったのに、空き家の登記もまだ相続人の数が少なくて簡単だったのに、なんで手放さなかった・・・!


「難しいことは分からない」じゃないよ!
「うまく使えばひと財産になる」じゃないよ!!
無責任なこと言わないで!!!


私は正直ブチ切れていた。
今までは義父に対しても親戚に対しても、土地のリスクを分からなかったのかもしれないし仕方ない、何か事情があったのかもしれない、そういう風に考えて務めて冷静に対処しようとしていた。

でもここまで来てしまえば重過失もいいところだ。家族に対する立派な背信行為だ。
絶対に許さない、絶対にこの空き家の所有権をもぎ取ってやる・・・!そう心に決めて、司法書士へ連絡し空き家の遺産分割協議を整えてもらうことになった。


曽祖父の家を、血縁上のひ孫である夫が相続するという手続きをするので、まずは曽祖父の戸籍調査が始まった。
全国に散った曽祖父の法定相続人全員を調べるのだ。

曽祖父の子どもは7人、その子どもが亡くなっていたらその子ども・・・と調査をする。
調査方法は曽祖父の戸籍を頼りに、相続人を特定し、彼らの住む行政へ問い合わせて戸籍謄本を取得する。死んでいたら、同じように問い合わせを繰り返す。・・・という何とも時間のかかるアナログな方法だった。

曽祖父という遠い続柄、しかも多子。
早死に家系も中にはあり、玄孫まで調査の対象になり膨大な人数を調べた。
当然時間がかかる。

また、多人数が絡む遺産分割協議は顔すら知らない親戚同士が行うものになるので不調に終わりやすく、長年をかけて裁判で決着をつけるケースもよくある。
擁壁は、梅雨などの雨が多い時期によく崩れているようにも思うが雨が降らない秋冬でも前触れなく唐突に崩壊することがある。

手続きにいつまでかかるか分からない恐怖。その間に何かがあったら、本当に生きていけない。


未登記なんだから、単純に空き家を壊して更地にしてしまえばいいと思うかもしれないが、あの土地は「再建築不可物件」といって、土地が道路に接している出入り口の幅がギリギリ2メートル以下、さらに接している道路も幅員が明らかに4メートルなく、しかも道路を調べたら「里道」と呼ばれる私道であった。

再建築不可物件は、いちど建物を壊してしまったら建築許可が下りない土地なので新しい建物が建てられない。
この土地の場合、1,500万円から2,000万円をかけて地形を変えて接道を確保し、擁壁を新しくしないと再び建物は建たない。

建物があるからこそ僅かな価値がある。そういう土地なのだ。
だから建物を壊すわけにはいかない。
何としても最短で、建物の所有権を獲得する。それが目標だった。


最初、建物の遺産分割協議を依頼した時は司法書士はあまり乗り気でなかった。
時間もかかり大人数が絡むため不調に終わることが多いこの依頼のコスパは最悪だから受けたくないんだと思う。

それでも私は鬼気迫る勢いで、絶対に途中で諦めないことを宣言して渋々作業に取り掛かってもらった。
あちらはどういう依頼を受けるかで業務効率が左右されるが、こっちも人生かかっているから必死だ。


土地と建物を買い取ってくれると言ってくれた男性には事情を説明したところ、取引を急いではいないので頑張って!という返事をもらえた。
そして心配されてしまい、土地の買付け証明を発行しようかとも言ってもらえたがそこまで甘えるわけにはいかないので断った。

私は半ば正気を失い、意地になっていた。



たっぷり1か月半かかって空き家の相続人全員の書類を集め、全ての法定相続人が判明した。
既に亡くなった人も含め関係者は総勢30名超だった。そのうち今回の遺産分割協議に協力が必要なのは16名。

微妙な数字であるが、この人数なら追えそうな気がする。そう思わせる数字だ。
まずは各相続人に書面で事情を説明したうえで、夫が空き家の所有権を取得する遺産分割協議に協力してもらえるかのアンケートを送る。


発送後1週間を過ぎたころから返事が届き始め、血縁が近い方は夫に電話をくれて実際に話をすることができた。
血縁が近い、面識がある、そういう間柄であれば実にスムーズに話が進む。
1か月待った。

ありがたいことに、ほとんどの相続人から協力する旨の返答があった。
しかし1人だけ音沙汰がなかった。
曽祖父の孫の、離婚した妻との間の子どもになる方だった。
つい先日成人したばかりで続柄も遠く、離婚した母親の方に引き取られていたため、こちら側の親族とも没交渉になっている上に、こちらをどう思っているか全く分からない。

直接話をしようにも連絡先も分からない。
本人からすれば、生まれる前の時代の相続が名前も知らない人物からいきなり手元に来たわけだから、返事がないのも頷ける。
私に出来ることは限られるが、やらないよりはやると決め、もういちど手紙を出して改めて事情を説明し協力を仰ぐことにした。

文章には今更の相続手続きになってしまい申し訳ないことと詳しいいきさつ、空き家の状態と、このまま空き家を放置すると発生しうる事故を説明し、協力いただけたら責任をもって空き家を処分する旨を分かりやすく丁寧に書いた。
速達、特定記録をつけ、表には「重要 必ずお読みください」と書いて発送した。

数日後に手紙を読んだ本人から夫に電話があり、協力していただけるということで相続人全員の意向が揃った。


半分は顔見知り、半分は全く面識のない相続人すべてに連絡がついて意向が揃ったのは素晴らしいことだと思う。
相続は時間がたてばたつほど世代をまたぎ、関係者同士が他人になってしまうから他人事、詐欺、そう思われて協力してもらえなくなる可能性が高まるが、今回は幸いなことにそうではなかった。

更に幸運なことに、高齢ながら認知症になっているものはいなかった。
もし認知症になっていたら、自己で遺産をどうするか意思表示ができないので後見人をつけたりと時間がかかるのだ。
一番の懸念がそれだったが、皆しっかりと返答してくれた。



早速、次の段階に移る。
夫に空き家の所有権を移すことを全員が了承したアンケート内容をもとに、正式な遺産分割協議書を作成し送付する。
それを印鑑証明書と一緒に提出してもらう。
その書類全員分と全員の戸籍謄本をもって夫は空き家の所有権を獲得できるのだ。

いける。できる。
プレッシャーの中で抑圧された感情が昂った。


正式な遺産分割協議書を全員に発送して返信を待った。
1か月。1か月半。刻々と時間は経過した。

もう季節は冬になり年末の気配がしていた。
それなのに、相続人の半分からしか書類が返ってこなかった。


アンケートでは全員から返事が来たのに、何故なのか?
私は混乱していた。

もう年末だ。年が明けたらまたあっというまに梅雨が来てしまう。
今年は台風だってたくさん来て、凄く怖かったのに、もう一度梅雨なんて心が耐えられない。

夫から各相続人へ連絡してもらう。
よそ者の私が連絡しても意味はない。
こういうものは血縁があるから話が進められるのであって、基本的に私が出る幕ではない。


相続人の一人から夫に電話があり、書類を提出する前に改めて説明が欲しいということだったので、その時だけ相続のいきさつに詳しく手続きを実行していた私が電話に出て話したが、途中でその方のご主人に電話を変わられてしまい激しい叱責を受けた。

印鑑証明書を提出する根拠を求められ、理由を説明したが法務局および登記制度の存在理由から疑われてしまい、全く理解してもらえず返事に窮しているうちに相手がどんどんヒートアップしてしまい一方的に色々なことを言われた。

その日私はコロナのワクチンを打った日で熱が出ており、うまく頭が回らなかった。
夫に電話を戻しても私が逃げたと思われる可能性があり、そうなれば協力してもらえる可能性がより下がってしまいそうで私も朦朧とする意識の中でも引き下がれなかった。終いには「お願いします・・・お願いします・・・」と力なく言うしかできなかった。

話に埒があかず相手の怒りがピークに達し「じゃあ書類提出しなかったらどうなるんだよ!」と怒鳴られ、途端に自分の中で空き家の所有権に思考のピントが合った。
絶対に所有権はもぎ取る。改めてそう覚悟して「すみません、その場合は、奥様に対して裁判を起こすことになります。」と弱腰ながら言い切った。

裁判という言葉に怯んだ様子があり、「あんた夫君のなんなんだよ!」と叫ばれた。
ちょっと意味が分からなかったのでストレートに「妻です。」と言った。


一瞬の間を置いて相手が爆笑しだし、何事かと思ったが相手は私と初めて話をしたのもあり、どうやら私を司法書士だと思っていたらしく、私が夫の妻だと判明すると手のひらを返したように「書類を提出する」と言ってもらえた。
軽い謝罪も受けた。アンジャッシュ現象が発生していたとはいえ、まあ、縁というのは凄い。縁があれば信用してもらえるし、書類がもらえる。

それは別として、私はその夜、登記制度や相続手続きを知らなくてもここまで歳を重ね生きてこられた彼らの境遇を心底羨ましく思い咽び泣いた。

家族を不確かな話から守ろうとする彼の姿勢は立派で素晴らしかった。良いパートナーなんだろう。しかし無意味に私を責める前に制度のことを少しでも手元のスマホで調べてほしかったと思う。


余談だが、私たちと同じような状況で交渉決裂した方で、先に受け取った遺産分割協議に協力する内容のアンケート書面を根拠として対象物件の所有権を確認する簡易裁判を起こすことになり、特に理由もなく書類提出を拒んでいた相手は裁判所職員から厳しいお𠮟りを受けた例があるようだ。



結局ほかの方は、書類のことを忘れていて部屋の隅に積んだままだったり、間違った返信用封筒に入れて銀行に送ってしまい返送されるまでに時間がかかってしまっていたり、病気でなかなか必要書類を取りに行けなかったりで遅れていた。
年が終わるまでに徐々に書類が提出された。


提出されていないのは残り2名となっていた。
1名は電話には出るものの、忙しい忙しいと言いながらズルズルと提出をしていなかった。
もう1名はアンケートの時点でも返事がなく、個別で手紙を送ってやっとアンケートを提出していた若い方。こちらは電話をかけてみても、全く出てくれなかった。


若い方は、改めてお願いの手紙と、何故書類を提出する必要があるかを詳しくまとめた紙を添えてお手紙を添えて送った。


忙しい方は、電話はつながるものの「来週には出します!」と言いながら結局提出してこないというのを1か月以上繰り返していた。
今か今かと書類提出を待つ身としては、ゴールが無限に伸びて、まるで絶望が上塗りされていくようで大変苦しい思いをした。

神経をすり減らし、日に日に憔悴して目つきだけが鋭くなっていく私の姿は傍から見ても異様だったと思う。
夫もイライラし始めて、相手にいつ書類を出せるのか問い詰めてしまい電話で喧嘩をしそうな雰囲気になってしまった。

このままでは提出してもらえるものも提出してもらえなくなりそうだったので私が間に入り、司法書士が作ったオブラートに包んだような文章ではこちらの逼迫した事情が分からないのではと思い、困った土地を手放したいのに未登記の建物があるので手放せないこと、崖崩れが怖いので一刻も早く土地を手放したいことを正直に伝えて助けてほしいとお願いした。

予め相手の仕事の隙間時間を確認して時間を空けておいたので、日にちを指定してもらい近所のコンビニで会うアポイントを取った。


褒められたことではないが、忙しい忙しいと言いながらもほぼ確実に電話に出る相手の素性が気になり、手元にある情報で検索をかけたところ、小さいながらも事業をやっていることが分かり複数の予約サイトの予約状況を突き合わせて空白の時間をある程度絞り込んでいた。

コンビニで会うのが難しいなら、お仕事されている現場へこちらから伺います。と仕事場の住所を私が言い当てたので、少し驚いていた様子だった。

会ったこともない人物にインターネット検索をされて仕事の時間と場所を把握されているのは気持ち悪いことだろうが、嘘を言いながらズルズルと逃げ回る現状にピリオドを打つにはこれしかなかった。


待ち合わせ当日、本当に相手は来てくれるだろうかと心配だった。
しかし、あと2名の書類さえ揃えば空き家の所有権が手に入る。やっとここまで来たのだ。絶対に逃がさない。その気持ちは固く、どこまでも追跡する心積もりだった。
歩みを止めたらプレッシャーとストレスで死んでしまいそうだったのでどんなに小さい歩幅しか出せなくても必死に歩みを進めた。

リスクから逃れるためにはどんなことに手を染めても構わない。もちろん他人を傷つけるようなことがあってはならないが、ストーカーまがいの行為を既にしてしまったのだ。絶対に引けない。
どうせ私の心はもう既に真っ黒に染め変えられてしまっているのだから、これ以上汚れるなんて、どうってことはない。

現れるかどうか分からない相手へのせめてもの詫びの菓子を手に雪がちらつく中待った。


果たして、時間より少し遅れて相手は来てくれた。
勝手に仕事を調べてしまったことや家族が失礼なことを言ってしまったことを詫び、来てくれたことに礼を言い、菓子を渡す。

菓子を受け取ってくれた相手は、忙しく書類提出が遅れてしまって悪いことをしたと言ってくれた。
実際に顔を合わせると、お互い落ち着いて少し話ができて、きっちり間違いなく記入された書類を受け取った。

何度もお礼を言い、相手が見えなくなるまで見送って、その足で書類を司法書士事務所へ持ち込んだ。



ようやくあと1名のところまできた。
電話に出ず、手紙も返事がない若い方だ。

先日送った手紙の返事はとうとう来なかった。
その後も手を変え品を変え手紙を送ったが返事がない。
待機時間がとてもつらい。

もういっそ、最初から全員を相手に裁判を起こしてしまえばよかったと何度も思った。
しかし今から裁判を起こしても数か月の時間はかかるし、もう一瞬たりとも無駄にはしたくない。


幾ら手紙を送ってもなしのつぶてで、これはもう直接相手の家へ行くしかないと思い、最後の手紙として正直に困った土地を処分するために助けてほしいこと、提出がない場合は翌週ご自宅まで伺うこと、ご不在だった場合は直ちに裁判手続きへ移行することを書き送った。

最後にできる準備としてインターネットで相手の情報を調べた。
恐ろしいことに、キーワードを組換えて検索すれば小さな情報は出てくるし、その情報を組み合わせてたどり着いたページで相手のおおよその学歴や顔写真などが手に入ってしまった。

すべて相手が自主的に出していた情報だが、それを利用しない手はなかった。
学歴は話す内容をどのレベルの言葉で用意するかの参考になったし、顔が分かれば入れ違いでの不在が防げる。

どんなに理由をつけてもこれは立派なネットストーカー行為だ。本人の了承なしにしてはいけないことだ。それでも調べずにいられなかった。どうしても助かりたくて、でも罪悪感もあった。ただ、この行為に抵抗感がなくなっていく自分が悲しかった。
泣けもしなかった。
自分の大事なものがどんどん削れて消え去っていくようで、心の底から凍えた。


この日までに書類の投函が無いと期日までに届かず、相手の自宅に行くことになってしまう日もレターパックの追跡番号は郵便局のデータに乗らなかった。

私は郵便の最後の集荷が終わってしまった後にダメもとで、書類を送ってくれたら書類取得などの交通費と手数料として少しお金を送るという内容のショートメールを送った。



翌日は相手の家へ訪問するための書類を揃えたり、各方面へ根回しや報告をして過ごした。
その間も何度も追跡番号を検索したが、相変わらず登録されなかった。

今日もダメだった、そう思ったが郵便の最終の集荷が終わった後、夜遅くに追跡番号がデータに登録された。


一気に期待が膨らむ。
ステータスが表示された画面に吸い込まれるように顔を近づけて何度も何度も番号が合っているか確認した。
相手がレターパックの宛名を書き換えて別の人に書類とは違う何かを送った可能性が拭えない。

輸送中と表示されたステータスが変わるとしたら明日の早朝。
揃えた書類はかばんに入れたまま眠れぬ夜を過ごした。
しんしんと冷える夜が異様に長く感じた。霜の降りる音が聞こえるほど神経は過敏だった。

まだ暗い夜明けになって、ステータスは最寄りの郵便局に到着したことが表示された。


相手の家に行くため乗るはずだった鉄道の時間をずらし、午前中の配達を待った。
お茶にすら手が付けられず、注がれたままカップごとお茶が冷えた頃になってステータスが配達完了になった。

私は司法書士事務所へすぐ連絡をしてレターパックが届いているか確認し、中身をみてもらった。


間違いなく記入された遺産分割協議書だった。
これで書類がすべてそろった。

相続が発生してから11か月、空き家の所有権取得に向けて動き出して5か月後のことだった。



その後は、司法書士より空き家の所有者を夫に設定する所有権保存登記をしてもらい、土地と建物をセットで購入者の男性へ引き渡し登記した。
土地と家屋の所有権移転登記はおなじみの司法書士より手配してもらった。
司法書士は、「この土地、売れたんですね」と心底驚いたように言っていた。

2月に所有権移転登記が終わり、私たちは本当にすべて終わったのか実感もないまま「いつもの生活」へと戻っていった。


付け足しにはなるが、引き続き土地の引き取りができるか検討していた造成会社は本当に連絡をくれてごく少額で良いなら土地を買い取れるという提案をしてくれた。

少しタイミングが遅かったが、あの土地を買い取ってくれる会社が2社も出たことはとても僥倖なことだった。
一度出た「買い取れない」という決定を覆すために担当の方は相当な努力をしたかもしれないし、社内での人間関係に影響を与えてしまう場面もあったかもしれない。
助けてほしいという私の声に真剣に耳を傾け、努力してくれたことに感謝は尽きない。



そして迎えた春。
今度は夫の実家を処分することになった。


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