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#『佳乃子』に込められた父の思い

私の名前である「佳乃子」。父から名付けられた名前です。
父の出身である、鹿児島県甑島(こしきじま)を代表する「カノコユリ」というユリから名付けられました。

さて、改めまして読者の皆さん、こんにちは。
毎日働いておられる皆さまを始め、この不安で溢れる社会を乗り越えようと生きている皆さん、本当にお疲れ様です。
だからこそ自分の心を落ち込ませる辛いニュースから離れてみたり、大好きな人と一緒にいられる時間を過ごしてみたり、
少しでもほっと息抜きをする状況を作ってくださいね。

本記事では、私の名前である「佳乃子(かのこ)」の由来についてnoteで述べます。
(#名前の由来 という面白いハッシュタグを見つけたので書いてみようと思います!)

▷佳乃子の原点である甑島・カノコユリ

甑島2

参照 甑島メインと薩摩の自然景観の旅 https://www.jalan.net/travel-journal/000058394/

私の父は鹿児島県の離島である、甑島(こしきじま)出身。
母の故郷である、新潟県で生まれた私。
幼少期は、お盆の度に、父におんぶをされながら鹿児島へ連れられていました。新潟から鹿児島まで、当時は交通の便は便利でなかったので、船旅で約2日間かけて行ったものです。
新潟港から博多港へ。博多から鹿児島まで特急で。鹿児島市から甑島までフェリーで。
小さい私からしたら、それは一年に一回のとんでもない行事で、毎年夏をうきうきに心待ちにしながら鹿児島へ帰ったものでした。
『おばあちゃん家へ行く=長い旅をする』

というイメージが小さい頃から染みついているので、大人になった私が旅が好きなのも、このような経験があるからかもしれません。

甑島は、コンビニエンスストアがすぐ行けるようなところにあるわけでもなく、ガソリンスタンドもすべてセルフ。
食材の買い足しは、老人夫婦が営業している港の商店まで車を走らせます。
海は透き通り、浅瀬まで魚が泳いでいます。
小さい頃は、手掴みで魚を取ろうとしていたものでした。
港近くの滝は、足を訪れるとすっと肌が冷たくなるようなマイナスイオンを感じます。夏は蛍が舞う。
夜は空がとても綺麗で、天の川が見れるほどです。
そんな甑島は、島内至るところに、「カノコユリ」が咲いているのです。
甑島は、カノコユリの国内最大の自生地です。

都会の喧騒から離れ、大自然に囲まれた甑島。
人はとても温かい。何歳になっても、帰れば「おかえりかのちゃん」と言ってくれるような人で溢れています。

▷名前に込められた父の思い

父は、『温かく自然あふれる甑島を思い出すような、心温かい人間になってほしい』という思いで、私に佳乃子という名前を名付けたそうです。

…小さい頃は、自分の名前があまり好きではなかったのです。
周りの女の子は、可愛らしい名前の女の子がとても多いのに、自分の名前は子で終わる。なんかそれって、昔の古い名前みたいで何となく嫌だった。
父が私の名前にどのような思いを持っているのかも知らずに、
「なんでもっとかわいい名前にしてくれなかったの!」なんて、親にぷりぷり起こった記憶があります。(笑)
しかしながら、今では、自分の名前が付けられた背景を知ると、自分の名前がとても愛おしく思えているのです。
同じ名前の人がいても、名付けられた背景を遡ると、世界でオンリーワンな自分の名前。
自分の名前が、今ではとても大好きになりました。

▷「カノコユリ」の花言葉

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カノコユリの花言葉は、「慈悲深さ」「上品」
ユリは白い花を思い浮かべる方が多いと思いますが、カノコユリはピンクの花びらをベースに、鹿の子模様が点々と入っています。
鹿の子模様が入っているから、カノコユリと呼ばれているのですね。

自分で言うのもなんですが、上記の花言葉は
とても自分を表すような言葉ではありません(笑)
誰にでも心優しく憐れむ気持ちをもった『慈悲深さ』は、物静かな印象を与える熟語ですが、私は上品というよりも活発な性格。
花言葉を象徴するような生き方をするのはもう難しいかもしれません。
しかしながら、父の思いと、カノコユリの花言葉を忘れずに、自分の名前に誇りを持って生きていたいと思います。

▷名付けられた背景を忘れずに生きる

自分の名前は、一生自分と付き合うものです。
だからこそ、両親は名付けに意味を見出す。
子どもに、どのような生涯を送ってほしいのか。
どのような人に育ってほしいのか。
…自分の名前には、必ず名付け親の思いが詰まっています。

親が思うような人生をそのまま歩むのは難しいかもしれません。
自分の人生は自分のものであるためです。
しかしながら、自分の名前が何をルーツにしているのかを知ることで、自分はどのような意義を与えられているのかが分かります。
名付けられた背景を知ることが、人生における一滴のエッセンスになると私は考えています。

名は体を表す。
「名」は「名前」、「体」は「実体」のことであり、「名前がそのものの実体を表していること」を意味します。
自分の名前は、自分そのものを表す。
だからこそ、一度原点に立ち返って自分の名前のルーツを知ると、生きる指針が見えてくる。
どのような生き方をしたいのか分からない人、人生の分岐点に立っている人、何かに迷っている人。貴方の名前には、人からの思いが詰まっています。
一度立ち返って、知ってみませんか。
名付けられた背景を忘れずに、筆者も今後とも人生を謳歌したいと考えています。

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