見出し画像

長編についての備忘録、もといあとがき

はじめに

こんにちは、あるいはこんばんは。またはおはようございます。

にのまえ あきらです。久しぶりのnoteです。

なぜこんなにも時間が経ったのかと言いますと、公募に送る長編を完成させるために完成するまでツイ禁をしたからです。(それに伴いnoteも止まった)

ツイ禁しても結局締め切り二日前から48時間チャレンジでラスト三万文字くらい(全体の四分の一)をどびゃーっと書いて終わらせたので多分あんまり意味なかったと思います。みんなは計画的に進めていこうね。

ということで今回のnoteは第17回MF文庫J新人賞第二期予備審査に送った長編『師弟に始まり、師弟に終わる。』のあとがき兼備忘録になります。書こうと思ったきっかけに自分語りを盛りまくって、そのとき感じていたことを忘れないようにしたり。だいたいこんな構成で作って、こんなことを思って書いていたんだなあと整理して自分が確認するためのものになります。(一応第三者が読んでも読めるようにはしていますが)

短編のあとがきは結構カクヨムにあげてたりもするんですが、公募用長編のあとがきをカクヨムにあげるのはなんか違うなと思い、noteならまあいいかと便利枠で出すことにしました。

毎度言ってることですが、あとがき兼雑記なのでこちらを読むのであれば先に本編を一読してから読むのをお勧めします。こっちを先に読んでも何書いてあるかわからないと思いますし。

相変わらず長い前置きをしたところでいってみよう。

書こうと思ったきっかけ

グラブルです。グランブルーファンタジーっていう天下のサイゲームスが提供している大人気ソシャゲです。

高校生の頃からアプリだけ入れてガチャ無料期間だけログインしては運だけの引きをTwitterにアップするっていうバカみたいなことをしてたんですが、去年どハマりして結構やり込みました。グラブルの代名詞である古戦場なんかでも風古戦場で英雄をとったり。(クソほどの余談ですが、生放送でランク150以下の英雄0.1%以下と表記されていたのは多分僕です)ただ最近はもうあまりやってなくて(時間管理が下手くそなのでアホほど時間を取られる)再びログイン勢に戻った感じです。

で、僕のグラブル事情を話しただけだと何もわからんので詳細を話すと(多分)年末頃にグラブルが恒例の特別生放送をやっていたんです(毎年夏と冬に特番をツイッターでやっている)。

それに伴って僕のTLもグラブルで盛り上がって、ファンアートとか流れてきたんですね。そこでグラブル世界の中で最強に近い(実際ゲームでもめっちゃ強い)シエテっていうキャラと主人公が敵に囲まれた状態で、背中合わせで軽口を叩き合ってるようなラフっぽいイラストが流れてきたんですね。主人公は一眼見てわかるほどにボロボロで、余裕しゃくしゃくのシエテにもうへばった?みたいなこと聞かれて強気で返しているような。それを見て、僕の脳内ではある一つのシーンが浮かんできたんです。

『無傷で不敵に笑う男主人公とボロボロの姿で剣を握りしめる女主人公が背中合わせで立っている』、そんなシーン。

面白そう、これいけるなと思ってその方向性で書くことに決めました。

と言っても、本当のきっかけはこの絵だけではありません。数年前、グラブルのアニメについてのツイートを見たこともきっかけにあります。内容は『男主人公と女主人公で敵を倒す際の傷つき度合いが全く違う』というもの。僕は全くアニメを見ていないので詳細はよく知らないんですが、グラブルのアニメは(確か)男と女の主人公両方のアニメがあり、それぞれストーリーも違いました。ですが敵を倒すシーンは両方ともに正面から主人公の顔がアップになっている画で構図も全く同じでした(恐らく、というか確実に意図的なものだと思います)。で、女主人公は全くの無傷で男主人公はもう見るからにボロボロだったんです。設定的に女主人公はすでにめっちゃ強くて、男主人公はゲームのストーリーをなぞっていく、要するに駆け出しの冒険者だったのでそのようなことになったんだと思います。当該ツイートは「左(女主人公)渾身で右(男主人公)背水じゃん」みたいなコメントがあったのを覚えています。渾身と背水はグラブルのゲーム内用語で、端的にいうと『体力が満タンに近ければ近いほど強くなるのが渾身』で『ギリギリの状態であればあるほど強いのが背水』です。それが無傷の人間とボロボロの人間の構図になったわけですね。

アニメがそれを意図していたかはわかりませんが、僕の中では二つの画がそのように結びつき、無傷の主人公とボロボロのヒロインの二人組、というコンセプトのようなものができました。結論から言うとそんなものはどこかへ消え去ったわけですが。

書くにあたって考えたこと・想い

※自分語りが多忙に含まれます。というか自分語りしかありません。作品そのものについて知りたい方は『作中要素』まで読み飛ばすことを強くオススメします。

――――――――――――――――――――

今度こそ完成させねばならない。それが第一でした。

というのも一年以上にわたって実に六?七?回以上も長編作成に頓挫していたんです。三万文字ほど(導入あたりまで)書いて、あとが思いつかず投げ出すというのを繰り返したので十数万文字をドブに捨てていることになりますね。アホや。

知り合った直後デビューの決まった作家さんに「自分もすぐ続くんで!任せたってください!」みたいなことを言っていたにも関わらず結局作品を出せずじまいで去年は終わりました。知り合いは作品が発売する前は「売れますかねえ……」ってめっちゃ不安そうだったのに今や業界でもトップクラスに勢いのあるとんでも作家になっています。二語十って言うんですけど。

本当は第16回のどこかに出す予定だったのですが、他の追随を許さない圧倒的な遅筆と犬にも食わせられないようなモチベーションの低さによりなんと四回全てを見送りました。第17回の第一期にすら間に合いませんでした。二語さんに「死んでも間に合わせてください」と言われましたが間に合わなかったので無事死にました。

応募を見逃すたびに自分の中で具現化できない思いが蓄積されました。

誤魔化すように書いて出したいくつかの短編を色んな人に作品を読んでもらって「面白い」「才能あるよ」と送られてきた感想で罪悪感のようなものをかき消そうとしていました。ですがある時、悟りました。

――この長編を完成させられなかったら、もう一生完成させられないだろう。

強迫観念と言い換えてもいいです。

何か一つきっかけがあったわけでなく、自分の心の器をじわじわと侵す複数の要素が入り混じってコップの水が溢れるように悟ったんだと思います。

まず一に、僕はまだ学生ですが、モラトリアム期間ももう残り少なく、就職すればいまのように好き勝手に時間を使えるようなことは少なくなるはずです。作品にかけられる時間が今よりさらに落ちた状態で完成させられるとは到底思えなかった。

次に、才能がある、若くて有望、そんな風に思われている状態に甘えているクソみたいな自分に気がつきました。ある意味シュレディンガーの猫の状態ですね。『今回は間に合わなかったけど、作品を完成さえさせられれば受賞できる実力が自分にはある』。そんな風に思い込んでいることに気がつき失笑したことをはっきりと覚えています。そのあと「完成させてから言えや」と口に出したことも。ただ、怖かったのも確かです。短編はあんなに活き活きと自信を持って書き上げられたのに、長編は明らかに何か違和感があった。自分で面白くないとわかっているものを無理やり完成させて人様に見せて、ほとんど反応がなく、まばらにお世辞のような感想が返ってくる、そんな予想が容易にできました。プライドが高いと自分ではっきり理解している僕はそんなこと怖くてできなかった。(一度やってみたいと思った絵や音楽に手を出さなかったのも、よそから見て明らかに下手とわかる状態=上達期間に耐えられないと思ったから)

そして、飽きることに飽きました。恐らくですが、僕は自分自身が思っている以上に飽き性です。どうしようもないクズと嘲笑してもらって構わないんですが、結局のところ僕が長編を完成させられなかった理由は『途中で飽きてしまったから』なのです。自分の思うように書き進めることができず、また学校の課題に時間を取られ、なかなか形にならない。そういう風に過ごしているうちに、関心が別のものにいってしまい、放り出してしまう。クソの典型です。日夜ネット小説をアップしている人、短いスパンで公募に長編を送り出している人は本当に、本当に心の底から尊敬しています。二年前に出したMFの選評シートの評価欄に『きちんと最後まで書き切っている』とあり、当時高校生だった僕は「高校生だからって馬鹿にしてんのか」と思ったんですが、今その自分を見たら横っ面を張り倒してやりたい。話がそれましたが、これも一つの理由です。ただの言葉遊びな気もしますが、『もう完成させられない惨めな自分を見るのにいい加減嫌気がさした』のは事実です。

そんなこんなで完成させようと決意したのが六月だったかその辺だったと思います。コンセプトを思いついてから半年経ってますね。遅いんじゃ。

書くにあたって考えたこと・作中要素

こちらは作品を書くにあたって具体的に考えたことですね。1の方より先に考えたことばかりのはずなんですが、順番的に後になりました。

1、複雑な関係性を探した

これは『物語そのものを書こうとすればするほど話は短くなり、人物を描こうとすればするほど話は長くなる』という(確か)星新一の発言だったり、『物語は結局のところ、人間同士の関係性がどのように変化していくかを見るものだ』というような何かの発言を見て、僕は考えました。「最も複雑な関係性を主軸に据えれば、自分のような人間でも長編を一本書けるのではないか」

そうして思いつく限り関係性を書き出しました。姉妹、兄弟、親子、友人、親友、他人、上司と部下、恋人、暗殺者とターゲット、etc...

そしていろいろな関係性を俯瞰してみて、僕が選んだのは師弟でした。

NARUTOのジライヤとナルトであったり、りゅうおうのおしごと!の八一と弟子たちであったりで、テーマに据えられる関係性であることは知っていました。

親子であり、兄弟であり、時にはライバルであり、また殺しあったりするような関係性になったり、時には恋人のような関係性になったり。『最も多くの関係性を内包し得る関係性』であると判断したのです。

なので作品は師弟モノでいこうと決まりました。

2、ギャップをもたせられる設定を作った

『良いキャラクターには大なり小なりギャップ(読者への驚きを示す一面)がある』という言葉を見て、僕は考えました。「ギャップをキャラに持たせるのは自分には難しい。なら、ギャップを作れる設定を考えてしまえばいいのでは」

そうして作ったのが《イデア》の設定です。元は別人格という意味で《アナザー》という名称でした。対照的な設定として作った《ソーマ》は魔獣の存在の理由づけとしてエヴァンゲリオンの知恵の実と生命の実が元にあった気がします。

何か困ったことがあったら設定で解決してしまう、というのも一つの手として覚えておこうと思います。

3、一人一人、主人公にできるキャラを作った

実は書いている最中、モブとして消した人が一人いました。キャラが弱く、物語上の役割もよくわからなかったためです。それに伴い、丸一ヶ月かけてなんとか書いた一万文字も消えました。僕の七月は虚無に消えました。

一万文字消して、僕は考えました。「モブとか考えるからキャラが弱くなる。全員主人公にできるくらいの気持ちと作り込みでいこう」

そもそも僕の小説を読んでくれる友人から常々言われていたのが「キャラが弱い」ということでした。

「設定、世界観、文章、アイデア、キャラの五つの項目の中でどれが弱いか選べと言われたらまずキャラになる」と言われました。

ラノベだけに限らず物語はキャラがあってこそです。キャラが強ければ、面白ければ読者はそれだけで読んでくれます。

わかってはいてもできるかはまた別問題なんですが。今回の長編もやはりキャラが弱いと言われてしまったので、今後の明確な課題です。

書くにあたって考えたこと・構成

十三幕構成にしました。よく言われている『主人公が英雄になって帰ってくるまで』ですね。まず時系列的にプロットを組み立てていって、感情的に盛り上がるように組み替えて書きました。

一つ付け加えることがあるとすれば、終盤の演出を用いた『一の刃が断ち切った』の部分は作品を作り始めて一、二週間で思いついた演出だったということです。そういうアイデアだけは早く思いつく。

強くなったこと

人の死をまともに描いた。ということです。もっと言葉を用いれば『作品展開の都合上、話を面白くするために殺した』。

んな人の死ぬ作品なんて世の中いくらでもあるだろ、何を言ってるんだと思われるかもしれません。実際その通りです。

ですが僕は今までまともに人の死を書いたことがありませんでした。あったとすれば、『突然想い人が死んでしまったがその理由が後から明かされる』『元から死んでいた』『死ではなく別の形で終わった』『何度も死んで生き返る』などです。人ひとりの死を正面から描いたことはありませんでした。

僕自身、描くまでその行為がこれほどまでに重く感じられるとは全く思っていませんでした。

人間の感情を限界まで突き詰めていくと、だいたい愛(エロス)か死(タナトス)にいき着くんですが、世の中にある作品にも通底していると思っています。というのも一つの生命の生理的な機能で考えてみれば基本的に一番恐怖するのは死だし、一番の命題は子孫繁栄(愛を育むこと)なので当たり前っちゃ当たり前です。

人の根源的な感情に訴えかけるものがあれば当然人は見てくれる。というか人が作るものである以上、愛と死どちらも入らないものはそうそうないと思います。意図的に作ろうとしない限り。

愛と死を両方入れるために書いたとかそういうのは全くなくて、むしろ書こうと考えているうちにそのことを思い当たったような感じです。

そしてこれを書くことができたというか、書こうと思ったのは八月の頭に祖父の訃報を受けたからでした。もっと詳しく言うと葬式でいとこが『おじいちゃんの報せを受ける前に、おじいちゃんのことについて考えてたんだよ。ただの偶然のはずなのに』と呟いていたこと、そして小さい頃いとこも合わせてみんなで祖父に連れられて川沿いに公園まで歩いたことを思い出し、もうみんなで公園まで歩いていくことはないんだ、と気づいた時でした。

終わりに

あとがき6,000文字以上いってるのどないなっとるねんと思わなくもないんですが、好きに自分語りするとこんなもんでしょう。知らんけど。

今回、また書かなかったとぼんやり思っていることがあります。

それは『悪者を出さなかったこと』です。

僕は悪者然とした悪者を出すのが嫌いなのか、苦手なのか、作中に登場する人を全員良い人にしがちです。というかメインはだいたい良い人しかいません。

『悪いように見える人でも他からしたら聖人に見えることもある』というような人間の多面的な部分を重視していることもそうでしょうし、単純に悪者のいない世界が好きなんだと思います。優しい世界を見たいんだと、ある時気づきました。

もちろん現実にはどうしようもなく度し難い人がいることは知っています。それは確かです。かと言って全員がそうではないし、善人や善行をした人をさも悪人のように見せる作品なんかもあります。その逆も然り。

これは作風になっていく部分なのかなとか思ったりするんですが、それでもいつか書かなきゃいけないんだろうなとも思います。『書けるけど書かない、あるいはそういう風に見えないようにしている』のと『書いたことがない』のとでは天と地の差があるので……

色んな方に感想をもらい、フィードバックはある程度済んでいるので、次に向けてまた書き始めたいと思います。

作品を読んでいないのにここまで読んだ、なんていう人は流石にいないと思いますが、作品を読んでいなくてこの文章を見た方はぜひとも作品の方に目を通していただき、ツイッターでもカクヨムの方でも感想をいただけたらなと思います。

ではまたいつか、次の機会に。






ファンタジーはしばらくいいかなといった気持ちです(白目)

この記事が参加している募集

note感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?