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電車、自転車、走る、歩く(短編小説23)

電車が走る。その横の道を中学生の女の子が全力疾走していく。その隣でおじちゃんが自転車に乗って進んでいる。そしてその隣ではるかは歩いていた。

電車、自転車、走る、歩く。この順番で早く進むはずだ、という思い込み虚しく、電車の次に女の子が颯爽と自転車のおじいちゃんとはるかを追い越していく。さらに、はるかは、自転車のおじいちゃんを徒歩で追い越してしまっている。

この狭い空間の中で今、いろんな人のスピードが交差している。早い、遅いってなんだっけ?とはるかは思う。こんなにも個体によってバラバラな時間の進み具合を、時計や年齢という時間軸で測ったり、比べたり、焦ったりすることって、ほぼ意味がないな、とも思う。どんなに数字で統計をとっても、そこにたまたま居合わせたメンバーの平均値でしかないのだろうな、とも思う。

さっきまで、はるかのなかで、自転車は歩くのより早くて、疲れなくて、、、便利、、、なはずだった。だったらなぜ今、あのおじいちゃんは、はるかより後ろにいるのだろう。便利なものは万能ではないのだ、ということを受け入れたら、何が便利で便利じゃないかすら、はるかは自分でわかってない気がした。スマホって本当に便利だろうか?そんな疑問も湧く。

きっと世界中のみんなが本当は、何もかもがわかっていないのに、思い込みだけで何かをわかって気になっているのかな、と思う。自転車、時間、人それぞれ、という言葉。みんな違ってみんないい、という言葉もぜんぶ、頭だけの理解止まりで、実のところわかってないから、悩んだり、焦ったりする。今の自分をそのままに愛せなかったりする。

そして、何か物的証拠を見つけてはそれみろ、これが正しいだろう?というように、何かをわかってる気になることは、わかってないことをわかってることよりよっぽどエゴイスティックな気が、はるかにはしていた。でもこれもきっとはるかの勘違いであることは大いにありうる。だって何もわかっちゃいないのだから。無知の知、といった哲学者は偉大だなあ。。

それだけだから、何も悩む必要などない、気楽に行けばいいのだ、とはるかは思う。その気楽さがきっと、あの自転車のおじいちゃんよりも今、はるかが前に進んでいる唯一の理由だったとしても、誰も嘘か真かなんてわかりようがない。その理由は、「おじいちゃんだからじゃない?」なんて思い込みで勝手に決めつけるより、ずっと豊かな発想力かもしれないし、そうでもないのかもしれない。

わからないのだから、やっぱり気楽に我が道を行けばいいのだ。

そんな世界で、人は生きている。

とてつもなく自由で、全てが自分の創造だった。この言葉の意味もきっと、分かってないのよね、誰も。

それでも電車は走ってゆくし、はるかは歩いていく。

気楽に、思い込みよりも、早く。

おしまい



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