華男と2回目の朝
華男とのやり取りで、貴重な睡眠時間が減った私。
今週は、特にレセプト点検や医療保険の申請などで忙しい週なのに。体力と気力が必要とされる時に、ここで一番必要なのは睡眠なのに。
ひとまず、明日の服を準備して、朝の支度を短縮するために、お弁当も準備した。とは言っても、いつものタッパーに、晩ご飯のおかずの残り。モモ肉の唐揚げとムネ肉の唐揚げ、それからだし巻き卵を入れただけ。おむすびは、私が帰りのコンビニに買ったものにしよう。
「へ?寝る前に、もう明日の準備?」
私の心境を知る由もない男は、あぐら座りしたまま、きょとんとした顔で私の支度を見る。
「もう!アンタのせいで、寝る時間減ったじゃん。今一番忙しい時なのに。」
遂に口からブツクサ言いながら、ベッドの布団を敷く。気分が落ち着かないこんな時は、白檀(サンダルウッド)のお香を焚いて寝たいけど、そんな余裕もない。
「いやー。大上さんが、あれこれと俺に聞いたから、俺も答えただけなんですけどー。」
「もう、いい‼︎とりあえず寝るから。おやすみ。」
「ああ、おやすみ。じゃ。俺も、本当に帰るね。」
華男が、また立ち上がって、玄関に向かう。
「待って‼︎もう遅いし、今日も、ここで泊まってきな。」
いや、もう私、完全におかしい。
睡眠不足とこの男へのモヤモヤ感がまだ、晴れてないのか?
しかも、最後の「泊まってきな」って言い方、男勝りじゃないんだから。
「ええ⁉︎大上さんが、そう言うなら、ありがたく泊まらせてもらうけど?いやー、なんだか昔話で見ず知らずの旅人を泊まらせてくれるような、優しい人って本当にいるんだねー。ありがとう。」
本当に遠慮がない男だ。でも、一番呆れるのは私自身なんだけど。
「布団は昨日かけたの使って。マットはないけど。」
そう言いつつ、私は毛布を男に渡して、電気を消した。
「寝かせてもらうだけで十分よ。いやー、ありがたい。」
男が、テーブルの横で毛布と共に、どかっと横になる。
私もベッドに入って目を閉じる。結局、また、同じ空間に寝ることになるとは、、、。
あらかじめ目を瞑る前に、男に警告した。
「もし、少しでもなんか変なことしたら、すぐ警察呼ぶから。」
「そんなことしませんよ。俺、こう見えても常識あるし。おやすみー。」
念の為、私はスマホを手元に置いて目を瞑った。
少しして、男の声がする。
「ねえ。ねえ、大上さんー。もう寝た?」
「何?、、、まだ寝てない。」
暗闇の中、男が話しかけてきた。
「今日は、なんか香りとかしないの?昨日は薔薇の香りが部屋中して、気持ち良かったからー。」
「しない。もう遅いから。」
「ふーん。」
なんかしょげた男の声。もう、早く寝かせてよ。興奮して眠れなくなるじゃん。
また、少しして、
「ねえ、大上さんー。」
「何?まだ、なんか?」
「いやー、できたら嬉しいんだけど、大上さんの頭の匂い。少し嗅がさせてくれないかなーと。あっ。変なことはしないから、ぜった、、、。」
「もう‼︎寝ろ‼︎」
俗に言う、堪忍袋の緒が切れて遂に怒鳴ってしまった。私も最後の最後までよくこんな大声が出たと思う。
「いや、すまん。失礼しました。おやすみ。」
ガバッと毛布に包む音が聞こえる。同時に、クスクスっと男の笑い声も聞こえた。
外はまだ明るくないけど、ちゃんと眠れかなぁ。不安まみれで、再び目を瞑る。いつも間にか、男のイビキが聞こえてきた。
私の気も知らないで、、、
朝5時。
スマホのアラームが鳴る。寝た時間が時間なので、身体を起こすのに一苦労だったけど、私はなんとか起き上がり、洗面所に向かう。鏡を見て、目の下にくまはできてないけど、明らかにまだ眠たい私の顔。
顔を洗い、いつものように、キッチンでお湯を沸かす。まだ、陽は出てないけど、ほんのりと外の明るさがカーテン越しから分かる。今日も、蒸し暑くなりそうだ。
木曜の今日は、本当なら午後は、休診日なので、平日よりは早く帰れるのだが。どうしても月末の作業で、お昼弁当は必須になる。それから、なるべく朝ご飯は、多めに食べる。いつもなら、パンやおむすびで簡単に済ますのだか、この日ばかりは、体力と気力全て使うのは、もう分かりきっているので。
お湯が沸いたので、コーヒーを淹れて飲んだ。
あの華男どうなったんだろ。ちらっと華男が寝ている所を見ると、毛布だけがあって、もう居ない。
あれっ?まさか、帰ったの?
と思っていたら、トイレの流す音が聞こえて、ヅカヅカとこっちに向かう足音が聞こえてきた。
「ふぁ〜。おはよう、ってか、早くね?俺まだ眠たいんだけど。」
思いっきり口を開けてあくびするあなた、ライオンですか?と言いたいが、男の寝癖が、爆発したように見事に跳ねていて、少しウケる。
男のことは無視して、とりあえず、昨日買ってくれた食パンを何枚か切る。
冷蔵庫から、昨日の残りのコーンコロッケとポテトサラダ、ついでに、カロリーハーフのマヨネーズも一緒に出す。
厚めに切った食パンの一組は、マヨネーズを薄く塗り、コーンコロッケをのせてサンド。
もう一組は、ポテトサラダをサンドする。
手っ取り早く簡単に残り物で作ったサンドイッチに、私はかぶりついた。
「おおお!美味そう‼︎俺もやってみよう‼︎」
寝癖ライオンはさておき、とりあえずひたすら、サンドイッチをむしゃむしゃと頬張り、コーヒーで一息入れる。
キッチンで使ったものをササッと片付けて、胸をボリボリ嗅いている男に言った。
「昨日のおかずやパン、お米はありがとう。私お腹いっぱいだから、昨日残したアジフライと手羽先は、平島さんにあげる。食パンも切っているから勝手に食べて。もう時間だから、行く。」
そう言い、身支度を整えて、玄関に向かう。ドアノブに手をかけた時、一瞬、華男の様子が気なったので、少しふり返ってみようかと思ったが。
いやいや、なんでそんな気持ちになるんだ。考えを仕切り直し、ドアを開けた。
「いってらっしゃい。気をつけろよー。」
昨日と同じ調子で、後ろから男の声。
そのまま、私は振り返らず、バス停に向かった。
午前中の診察が終わり、クリニックの入り口に、「休診」の看板をぶら下げた後は、職場の人たちと昼食を食べながら、月末の作業をする。普通の企業であれば、労働時間内に業務を完遂することが理想だろう。
でも、現実、特に病院はそんなことお構いなし。一応、残業代はもらえるけど、もらえる金額それ以上時間がかかることがほとんどだし、『サービス残業』という暗黙の了解は、承知の上だ。
それでも、ひたすら医療費の計算や保険機関に提出する書類など、ミスがないようにひたすら集中する。職場のピリッとした空気が、この時は一面に漂う。
15時過ぎ。なんとか今月の作業が一通り終わった。ふぅーと一呼吸して、今回の戦いを無事終えた兵士のような境地になるのは、私だけではない。
それに、ここのクリニックでは、もう一つの『ご褒美』もある。
クリニックの先生が、とびっきり美味しいスィーツを、月末に職場全員に振る舞ってくれるのだ。
耳鼻咽喉科の先生。大の甘党で、ケーキから和菓子まで、いろんなお菓子をこよなく愛し、旅行では、いろんなお菓子を食べ歩きして、ここ近隣のスィーツ店は全て把握済みだと言う。気に入ったものはネットでも取り寄せるほどの筋金入りの甘党が選ぶお菓子は、ありがたいほど嬉しい。
さてさて今日はというと、先生御用達の和菓子屋の夏の名物、本わらび餅。
青い瑠璃色のガラス皿にのせられ、竹の爪楊枝で持ち上げると震える半透明の姿は、いかにも涼しそう。
きな粉と黒蜜をたっぷりかけて、口に入れると、柔らかくて、舌の上でモチっトロンと、とろけた。
ああ、幸せ。
私を含む職場の人全員が、この時ばかりは素の笑顔になり、さっきまでのピリッとした空気もなくなる。普段、お菓子を買わない私にとっては、本当にありがたい甘味。
本わらび餅を食べ終えた後は、もう帰っても良いのだか、私を含む何人かはクリニックの花壇の手入れをする。
花や草木も、先生の趣味で、花壇や、クリニック専用の駐車場の植え込みに数種類の花を植えて、お世話をしている。
春は沈丁花から始まり、チューリップとパンジー、夏はサルビアと朝顔、ミニひまわり。秋なると、駐車場の金木犀が毎年、良い香りを届けてくれる。冬にはクリスマスと年越しを兼ねて、ポインセチアと紅白の葉牡丹。
毎朝、先生のルーティンで、開院前に水やりや草むしりをされているが、私たちも手伝いをしているのだ。
今、梅雨明けした時期だけど、駐車場には、遅咲きの紫陽花がきれいに咲いている。
俗に言う異常気象のためか、花が咲く時期も毎年少しずつ変わっているが、薄水色の紫陽花と濃い水色の紫陽花のコントラストがとてもきれい。
草むしろをしてふと、あの男の話を思い出した。
確かに、一昨日、男が倒れていたあの日のお昼、にわか雨が降った。 急に暗くなって、大粒の雨が降るのを私はクリニックの窓や入り口から眺めて、帰りが心配になった。帰りには雨が止んだから良かったけど。
あの男、傘持ってないから、あんなにびっしょり濡れていたんだ。
紫陽花の彩りどりの青の中で、もう一つ思い出した。あの男の匂い。ムキムキの胸を強く押し付けられていたから、感じたけど、あれはどうみても、血の匂いだった。
私もすごく鼻が効くのではないけど、男が、ズタボロの身体を『修理』されたって言ってたから、あんな匂いがしたのかな?
いやいや。やっぱり、全部あの男の作り話だ。
頭の中で言い聞かせて、私は草むしりに没頭した。
「お疲れ様でした。」と言い、クリニックを出たら、外の空気は独特の蒸し暑さを感じる。
蒸すな、っと思った瞬間、少し足元がふらついた。
そろそろ体力も底をついたか?仕事の気力体力の消耗に加え、やっぱり、一昨日からの睡眠不足も、きているな。
とにかく、今日こそは、早く帰って寝よ。
そう思いながら、紫陽花の横を通り過ぎた時、クリニックの駐車場に、1台、ブラックの大型ワゴン。
誰だろう、もうクリニック閉まっているのに、、、ワガママ駐車か、、、?
ボソボソ頭の中で呟きながら通り過ぎようとした時、ワゴンの運転席のドアが開き、徐に私の目の前に、黒い大男が現れた。
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