2022年度、あざした!

日が回り、ベッドに入る。明日も8:00からヘルパーの仕事があり、そこから6件。なので、そろそろ寝よう。

過ぎていった1年

気づいたら3月31日。2022年度が、自分のなかであっという間に過ぎていった気がする。"駆け抜けた"ではなく、"過ぎていった"と表現したにはきっと理由があり、自分のなかに「まだやれた」というのがあるんだと思う。

「次、がんばろう」と思っていては、次は来ないし、やっぱり目の前のことをきちんと積み重ねていくことが大切だと思う。

でも、だからといって目の前に転がっているおいしそうな話に飛びつくのも違うと思う。その辺の見極めはすごく大切。

中途半端さに対しての怒り

ぼくは今、中途半端だと思う。それが本当に嫌だと思っていた時期もある。いや、今も少しあるのかな。

なんだかんだ高校野球をずっとやってきて、一つのことに対して色々なことを犠牲にしてでも全力でやってきた過去がある。

だからこそ、「中途半端」という言葉には違和感が元々あって、聞いただけでマイナスな感情が自分に流れる。

でも、今の自分は間違いなく中途半端。福祉の現場には立ちながらも、そこを深く勉強したり、踏み込んでいるわけではない。かといって、その傍らやっていることに対しても、イベントが終わり、今は全力ではない。

全力で向き合わない状態の自分が、きっと昔から嫌いなんだと思う。今ぼくは、そんな嫌いな自分と、今の自分を付き合わせているともいえる。

変わってきたこと

そうやって無理にでも付き合わせていると、少しづつ感覚が変わってきた。

福祉の領域にグッと踏み込まずに、かといってクリエイティブや中間支援の領域にも踏み込まないぼくのことを友人が、「鷲谷くんはバランスが良いよね」と言ってくれた,

中途半端さとバランスって確かに遠いようで近いのかも…?と、最近思ったりする。たしかにぼくは介護の現場に出ているので、現場の人が感じることは理解ができる。理解できるけど、だからといって「絶対に現場が大事だ」と言い切ることはできず、やっぱり未来のことや地域のことを考えると、ぼくがいる福祉や介護の領域は開いていかないと、ちょっと厳しいのもわかる。

お互いの正義や感覚がわかるって、案外珍しいのかな?と、ここ最近思ったりもした。

それと同時に「全力でやれよお前!」という違和感は常に持ちつつだけど、そうやって何かにせかされている?、走らされている?、自分とも今は少し距離を置いて、ちゃんと走るべき時に走ろうとも思えたりしている。

それは変わったことかな。

バランス感覚を持ちつつ、少しづつ

一気に「10」に振り切るのではなく、少しづつ積み重ねたい。ぼくは福祉の仕事と、他の活動をしていて、今はそれがどちらも「3」くらいなら、それを「5」に、「6」にちょっとづつあげていきたい。合わせたら「10」になるくらいに。

介護や相談支援の勉強もしたいし、他の勉強もしたい。時間はあるから、それを少しづつ、積み重ねていく。そうやって、今の自分にあった「全力」のカタチを見つけていけたらと思う。

なんか、書きながらおさまったかも、、、うまくまとまった?おぉ。文章ってすご。

でもこの文章を書くまでに、やっぱり話した人とか語り合ってくれた友人や後輩の存在も大きいんだと思う。すごく、とっても。今日も楽しかった!

そうやって、「今の自分は、もしかしてこんな自分で良いのか?むしろ、そっちの方が良いのか?」と、思えたのは大きかったと思う。

と、深夜にツラツラ書き、そろそろ寝るとしよう。明日も一応ぼくを待ってくれている人がいるので。一応ね、代わりはいるけど、でもそれでもいいのさっ。

なんかスッキリした3/31。そして、激動の2022年度でした。たくさん泣いたし、悔しかったことも多かったけど、それがきっと糧になると思うので、軸は折れずにまたぼくらしく前に進んでみます。がんばろ!そんでもって、みんなまた飲も!

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