見出し画像

カバディみたくポエデイと言って


便利な仕組み

 遠州や浜松市で俳句・短歌・詩など詩歌を扱う人が「なにかしたいなぁ」と思いついたときに便利な仕組みを設けよう、と私は思った。そして、その仕組みは、固定された組織ではなく、流動的なイベントの方が時流の変化に即応しやすいと考えた。イベントのときだけ集まり、終われば解消され、何かあればまた知識を足して集まるようなものを。

ポエトリー・リーディング浜松

 はじめ、ポエトリー・リーディング浜松を企画し、浜松市文化振興財団の助成金をとろうとしたけれど失敗した。指摘された難点は集客とイベント実績の無さだった。なので、ポエトリー・リーディングとオープンマイクはそのままに詩歌ZINEの販売という資本主義社会への受容されやすさを加え、企画をポエデイへ改めた。そして私はポエデイの副代表となる。代表は詩人たる市民全員である。

詩都浜松構想

 ポエデイの目的は当初からの、遠州で詩歌を扱う人にとって便利な仕組みを設ける、で変わりない。遠州は静岡県や三遠南信などを含むかもしれないし、地球くらいまでは対象地域が広がってもいい。詩歌を扱う人は作る人・読む人・売る人・買う人・教える人など幅広く捉えてもらえると嬉しい。便利な仕組みとは詩歌経済を活性化させるとか、街を賑やかにするということではない。便利な仕組みは表に出る樹木ではない。地に隠れる根茎のようなもの。インフラストラクチャー、下部構造だ。例えば詩歌を扱う人が互いに連絡先を交換して絶版本を貸し借りしたり、情報を渡し合ったり、困ったときや人手が欲しいときに協力しあえる関係を短歌や俳句や川柳や詩といったジャンルの垣根を越えて築いたりすること。そんな根茎の、理想の状態を私は詩都浜松と呼ぶ。詩都浜松構想のはじめの一手がポエデイとなる。

成功と失敗

 なので、ポエデイの成功と失敗を測定するとしてたら来場者数や販売数ではなく、出店者や来場者含めて参加者がポエデイ以後に起こした活動となる。その活動はポエデイ2でもいいし、ポエデイの代替イベントでもいい。ポエトリー・リーディング浜松でも、ささやかな交流でも、結社への入会でも、それこそ詩歌を書いてみる、でもいい。もちろん、かたちにならなくてもいい。詩歌を扱う人は、権力をふるう者や正義をふりかざす者のいる社会へ言葉で少しでも混乱を与える人。そんな人は当然だが心休まるときはわずかしか与えられない。そんな人が心休まる場をポエデイ以後に見出してくれたら企画者冥利に尽きる。
 ややこしく書いたけれどポエデイ以前とポエデイ以後と参加者の何かが変わっていればポエデイは成功だ。
 だから、ポエデイへ参加するときは、「ポエデイを利用してやろう」という心持ちくらいで参加するのがちょうどいいのかもしれない。
 盛り上げる必要はないよ。それより自分自身の利になることを、他の参加者の利を妨げない程度に優先してもらいたいな。そしてあなたなりのやりかたでポエデイとポエデイ以後を楽しんで欲しい。

ポエデイのロゴ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?