断片的な、ある人の記憶について
どちらから話し始めたことだったか、どのようないきさつでこのような流れになったのかはとうに忘れてしまったが、僕の頭にはその時の記憶が断片的に保管されている。
「この世には美しいものがいっぱいあるね、朝日の綺麗な丘、星空の瞬く砂浜、喫茶店のステンドライトとか・・・」
彼女は僕の問いかけに微笑で答えた
僕は続けて喋り出す
「何度も読み返した本、映画、それらは”好き”という言葉で表すこともできるけれど、カテゴリで言えば”美しいもの”であるとも思うのさ」
「私はロックが好きだわ」
「ロックもいいね、僕はたまにどうしてもロックが聴きたくてたまらない時があるよ」
僕は自分の顎に手を当てて、自分の言葉を反芻する、僕は考える時に、顎に手を当てる癖があるのだ、わずかに髭の感触がざらざらとする
「美しいものといえば、君もそうだ。黒くてサラサラした髪、細い目と、その奥のダークブラウンの大きな瞳。」
「私にとってもあなたは美しいものよ、黒縁の眼鏡、チェックのハンカチ、銀のネックレス」
「それは僕というより、僕の付属品じゃないか!」
「冗談よ」彼女はくすくす笑っている。
オーロラとか、万里の長城とか、渋谷の夜景とか、この世には美しいものがたくさんあるらしい。それらはどのように美しいと定義づけられるのだろう。僕は時折疑問に思うのだ。
「ねえ、君。美しいものとはどのように定義づけられるのだろうね」
「私にもそれはわからないわ。ロココ調の陰鬱な絵画が美しいと言われれば、葛飾北斎の日本画が美しいとされることもあるわ。古代ギリシャでは同性愛が美しいものとされたのよ」
「それら先人による”美しい”の定義づけが現代の芸術的価値を生み出しているような気がするのさ。つまり、美しいと思われるものは、本能的に身につけるものではなく、後天的に、人類史が編み出したものなのではないのか、とね」
彼女は首を傾げる
「仮に全ての美術がそうであるのなら、美術はそもそも誕生しなかったのではないかしら。よくわからないけれど。美術にも様々な種類があるわ、例えば、あなたが展望台から海を見下ろして美しいと思うことと、絵画を見て美しいと思うこと、それらは根本的に異なる気がするのよ」
「なるほど、それはそうかもしれない。漠然と僕が肯定するものの中、その中全てに根拠があるのかといえば、そうであるような気がするし、そうでないような気がする」
「そもそも、根拠というものの発端が本能的にもたらされるものなのか、人類史の背景によってもたらされているものなのか、それらを判別することはとても難しいことなのではないかしら。私が言いたいのは、根拠というのは、いずれにせよこじつけのように聞こえてならないということよ」
つまり、根拠というものは、ただ自分の感性に対して何かしら、言葉を当てはめることによって、自分の輪郭を定めることに過ぎない。彼女はそのようなことを言いたいのだろう。
僕は(もしくは僕らは)形のないものに対して恐怖を抱く、何となくという言葉に置き換えた時、そこに潜む無形、ある種のコズミックホラーというか。自分という存在と内面があやふやになることを恐れている。正論でも、こじつけでも、僕らはそこに形を見出さずにはいられないということなのだろうか。
「人類史によって培われた芸術とは、人間が漠然と抱える”好き”という感情に対する意味づけであると、私は思うの。あらゆる感性を肯定することで、あらゆる人間の居場所を確保する。芸術というものが肯定されるのは、そこに公共的な価値があったからではないかしら」
「では、その”好き”という感情は、どこからくるのだろうね」
彼女は頬を少し赤らめて、少し笑うだけだった
「それよりあなた、コーヒーが冷めてるわよ?知ってる?コーヒーは温度によっても味が変化するのよ」
僕らはこの会話の以前にも、何かについて話していたような気がするが、それについては思い出せない。ただ僕が覚えていることは、断片的な会話と、僕の腕時計が16時20分を指していたこと、遠くで光線を放つ太陽が淡いオレンジ色を放っていたことだけだ。
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