◆仕事が大好きな私が、地域コミュニティに救われている話

大学生の時に地元を離れた。第一志望、第二志望に落ち、残されたわたしの道は滑り止め校のみだった。まさか行くと思っていなかった、大阪。父に頭を下げて、地元を離れた。

振り返ると、自ら何かを選択する、ということが少ない人生だった。母に勧められたから、友達がやってるから、先生に紹介されたから。

社会人になっても、先輩の勧めで、同僚がやっているから、お客さんに言われて。髪型さえも、「上司が(営業として)売れると言うから」ワンレンにしていた。

だから、今住んでいる場所は「珍しく」自分で選んだ街なのだ。


思い立ったら吉日

毎年100万近くが家賃として消えていた。だったら、家を資産として持った方が良くないか。ありがちな考えだが、そう考えたら行動に躊躇はなかった。

問題はどのエリアを選ぶのか。一生の住処となる街だ。
書き出した条件に優先順位をつけて決めた。さらにエリア内で、わたしたちの身の丈にあったちょうど良い物件が見つかり、タイミングをみて引っ越した。

夫婦ふたりと犬の1匹。自然が多いことと、駅に行けばショッピングモールや飲食店もあり贅沢を言わなければ何不自由のない環境が気に入っていた。足を伸ばせば、おしゃれなカフェやケーキ屋もある。自転車でも買おうかな〜そう思っていた。

優しさの連鎖


そうこうしているうちに、子どもができた。自転車といっても、ママチャリではなく電動自転車じゃなきゃダメじゃないか。

子どもができると視点がかわった。
「意外と小学校近いぞ」
「産院、小児科、総合病院が徒歩圏内でよかった」
「公文、発見!」

そして声をかけてくださる人たちが変わった。

これまでは
「かわいいわんちゃん!」
「おいくつですか?」
「うちも犬飼ってまして」
と、同じように犬を飼ってる方々が声をかけてくださった。ワン友ができるのは、犬が過ごしやすい環境を選んだメリットでもあった。

しかし我が子を連れるようになると、
「あらかわいい!」
「2ヶ月くらいかしら?」
「お母さん寝れてる?」
と、道を歩いていてもスーパーに並んでいても声をかけてくださる方が多いこと!
そして何よりありがたいのは同じマンション内で声をかけてくださる方々だ。

「となりの駅にベビー教室があるから行ってみたら」
「知り合いが、ベビーマッサージやってるから、今度連れて行ってあげる」
「古いんだけどバウンサー使う?」

遠い親戚より近くの他人、とはうまい言い方があるもので、地元を離れたわたしには、ありがたい話であった。それに、こんなにも他人から声をかけられるとは驚きだった。そして与えてもらうものの多さに面食らった。

みな口々にこう言う。
「わたしも子どもが幼い時にしてもらったから」

そう、これは優しさの連鎖。母親というものになっただけで、わたしはその連鎖に加えてもらえたのだ。うれしかった。


孤独を包む安心感

もちろん孤独を感じないわけではなかった。

たとえ主人が家にいても、うまく寝かしつけてあげられない申し訳なさやシンクに残した洗い物に対する絶望感は、なぜか夕暮れ時になると心を蝕んできた。
でも一度玄関から外に出ると、心が解放されるような気がしたし、歩いてくる人たちの優しい顔にじんわり温かいものを感じた。

とくに週に一度マンションで開かれる文庫会では、絵本や本を借りることができて、本当に助かっている。(ブクログ、というWEBサイトで読んだ本を登録している。たのしい)

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絵本を借りられること自体はもちろん、近しい月齢の子と交流したり、すこし先の月齢や年齢のママから教育事情の話を聞いたりできる。そして、なんしか人と話すわたしの声を聞いた我が子は帰ると突然「うーわー」とご機嫌に話し出すのでかなりの刺激を受けているようなのだ。

我が子をみて「先月よりしっかりしてきたね」「寒くなったからね、お散歩の時は靴下履いたらいいよ」「もうちょっとで4ヶ月だね」と話しかけられると、
「あぁひとりで育ててるんじゃないんだな」
と安心感をおぼえる。

地域で育てる。子どもを、そして母としてのわたしも育ててもらっている。
この街を選んでよかった。

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P.S. 毎年秋になると家の周りが紅葉で包まれます。一本の木に、緑黄色赤が詰まっていました。


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