ぬるい時間、母からの贈りもの
過日、1年ぶりに母と再会した。
閃いたかのように家を訪ねてきてくれ、毎日ご飯を作っては一緒に食べてくれた。だらだらと話をしたり、スーパーへいったり、散歩もしたりと4日間。
ゆらり、ぬるい時間を共に過ごした。
起きれば「おはよう」、帰ってくれば「おかえり」と言ってくれる。
そういった今や自然じゃなくなったことが、再び目の前であたかも当然かのように繰り返されるだけで気持ちがホッとした。
両親が健康でいてくれて成し得るものなのだと、感謝が込み上げた。
翌週、母が去った後は何をするにも面倒が先を行く。
そうして鬱の怠さに加え、タイムラグの副作用が私の怠惰をしばし増幅させた。
それでも得たもののほうが大きい。
心身の奥のほうには、たしかな温度と安心感が残っている。
心なしか気持ちが軽くなったようにも感じている。
滞在中、私の生活リズムを尊重してくれたこと(母は夜更かし)。
一定の距離を保ってくれたこと。それでも心は寄り添っていてくれたこと。
すべてが「さすが、母」だった。
後日「タイミングを測っていたら行くのが遅くなってしまったの、ごめんね」といったようなメールが届いた。単なる閃きや思いつきではなかった母の訪問。
だが私としては、タイミングも含めて諸々ありがたかったことを伝えた。
そして自分がこの人の胎からでてきたのだと、心底納得した。
来月もまた訪ねてきてくれないかなぁと、内心….。
この年齢になっても、まだ親に甘えたくなることもあるのだと知った、娘。
ありがたや、母。
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