アスペルガー本人はどう感じて生きてきた?アスペルガーと診断されるまでの道【大人の発達障害】
最近めちゃくちゃ暑いですね🌞
夏は好きです。日が長いとそれだけで、気持ちも前向きになるからね。
どうも、なんとか周囲の人や社会適応を頑張っている、
アスパーガールのりみです。
最近は、「発達障害」という言葉や理解が広まってきて、
同時に関心も高まっているんだな~と感じています。
世の中の関心が高まるにつれて、
「自分が発達障害だった」とか
「自分の周りの人が発達障害だった」と
気づいた人も多いんじゃないでしょうか。
そんな私も、大人になってアスペルガーとわかったうちのひとりです。
社会に出て、人と一緒に働いたり活動するようになってから、
自分の先天性なコミュニケーション障害が浮き彫りになってきたのです。
今回はそんな実体験のお話。
ASDと気づかずに、努力して馴染んできた10代
私は、25歳になるまで、
自分でも周りからも、定型発達の子と認識されていました。
自頭はよく、勉強自体はできていたので、特に問題なしと言われていました。寡黙で、自分の内面に起きていることや、自分の気持ちを全く外にあらわさなかったので、問題点も目立たず、「大人しくてマイペースな子」とみられていました。
我ながら、いままで本当にがんばって生きてきたな~!と思っています。
私の中には、「みんながもっている"なにか"が根本的に欠けている」という違和感がずっとあったのです。
それがなにかわからず、相談しても誰にも理解されず、
ひとりモヤモヤしていました。
何かが周りと違う、欠けている感覚
小学校高学年あたりから、「私は"なにか"が根本的に欠けている」という違和感を感じるようになりました。
学校生活を過ごす中で、恐らくほかの人が当たり前に理解している共通感覚がない。周りの人はわかる"なにか"がわからない。
学校生活で、なんか周りについていけない…というか、
根本的には「なぜ周りに合わせないといけないのかわからない」。
社会意識の欠如、という感じです。
「私は私一人だけで生きている」という感覚が強く、幼稚園のころからアリの観察をしているのが好き。人との交流はほとんど求めていませんでした。
しかし、学校生活を送る中で、生きるためには「他人」の存在を意識し、「人と交流」しないといけない。徐々にそう勘づきます。
もともと脳の神経的に孤立を求めてる私は、少し気を抜くと、先生の話も全く聞いてない、友達もいない、になり、学校生活で、次何をしたらいいのかがわかりません。
クラスで「ぼっち」とみられるのも嫌だったし、学校生活で後れを取らないためにも、頑張って友人を作っていました。
しかし正直、私は友達という感覚がわかりませんでした。
ちなみに、親や兄弟、という感覚も、あまりわかっていないと思います。
人間関係の意識がなぜか、希薄なのです。
そんな感覚の自分を「冷たい奴だ」と自責していたし、認めたくありませんでした。
だって本当は、私はすごく繊細で、優しい気持ちも持っているのです。
心優しい人として生きたい。欠けた感覚をわかろうと、人生かけて探す旅。
そこから全力で、周りの人が持っている"なにか"の感覚を分かろう、と研究する人生が始まりました。
なんとなく生きづらかったのです。
自分が発達障害とは思いもよりませんでしたが、この”なにか”の感覚さえわかれば、私は生きやすくなるはずだ、と直感的に理解していました。
小学生のころから、ひたすら情報をあさります。
コミュニケーションに関する本、自己啓発本、心理学の本などは、300冊ほど読みました。心理学の解説サイトなども、おそらく文字通りすべてあさりました。当時出ていたサイトは見つくしたと思います。
それでも、"なにか"の感覚は、よくわかりません。
周りの人に相談しても、「考えすぎだよ~」と笑われるだけでした。
考えすぎなのはわかるけど、え、みんなはどんな感じなの…?
***
私は知的好奇心が旺盛で、"なにか"の探求は、あきらめませんでした。
何より「心が冷たいやつ」として生きたくありませんでした。
コミュニケーション改善スクールにも、
コーチングスクールにも通いました。
親子関係が原因かもしれないと、愛着障害等を疑い、専門のカウンセリングにも行きました。親とも腹を割って話したりしました。
メンタルクリニックにもいきました。
ヒプノセラピーやヒーリングも受けました。
スピリチュアルにもハマりました。
うまれつきの発達障害と知らなかった私は、
この"なにか"の感覚を知るために、ひとり戦っていました。
人生の時間ほぼすべて、金額では数百万円ほど。
私の人生で、最優先事項!という感じです。
25歳で出た答え。「発達障害」の診断
スピリチュアルのサークルに入っていた時、
「あなたはアスペルガーだと思う」と、
スピリチュアル仲間に指摘を受けました。
ちなみに、その人自身もアスペルガーだそう。
きっと匂いみたいなものでわかったのでしょう。
そこで、発達障害の診断を行っている「東京ブレインクリニック」へ。
アスペルガーとADHD、という診断を受けました。
診断を受けて、「これだ~~!やっぱり~!」とモヤモヤが晴れた感覚。
なんだか、ようやく肩の荷が下りたような。腑に落ちるような。
原因が見つかって、納得感や満足感を感じるような…。
親や周りに対して、なんでいままで気づいてくれなかったの!という、
やるせない感情も出てきました。
自分を理解して、受け入れながら現実を生きる!自分なりの幸せを創れればいいんだよ
発達障害というフレームは新鮮でしっくりくる感じがあり、と同時に、
なんだか残酷な現実を突きつけられた気持ちにもなります。
普通の人が持ってる"なにか"の感覚は、きっと、ほとんどわからないままなんでしょう。表面上はうまくできるようになったとしても、私は、普通の人がなぜおしゃべりして楽しいのか、笑っているのかがわからないままだろうし、バライティやお笑いを見ても、よくわからないままでしょう。
大事なのは、じゃあ、どうやって自分なりの幸せを見つけていくか。
頑張っても無理なことは頑張らないことにした方が賢明です。
それより、頑張って伸びるところを伸ばそう。
『人との時間を楽しめるようになりたい』
それは、無理に頑張らないことにしました。
アスペルガー同士で悩みを共有したり、一緒に何か趣味を楽しんだり、ちょっとできれば、OK。人間関係は希薄なままでいいです。
『人に役立つ人になりたい』
こっちなら、まだまだできることがあります。
こうやって記事を書いたり、専門知識を伸ばしたり、真面目に仕事に取り組んだり。
普通の人が「ヒト」にエネルギーを回している分、アスペルガーは「モノ」や「コト」にエネルギーを回せる。
そのような人材も、世の中全体でみれば、絶対必要なんです。
モノやコトで結果を出せば、人から肯定的に思ってもらえるし、友好関係を気づくことができます。
これが、アスペルガーなりの理想的な周囲との関わり方かな、と考えています。
omizuの暮らしのサポートをおねがいします💓