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19歳から働き始め、30歳になって改めて振り返ってみる

皆さんこんにちは、おみつです。
Twitterやnoteで絡んでくださる皆さんもいつもありがとうございます。
2021年12月20日をもちまして30歳に突入したわけですが、いろんな方から「30歳どう?」と聞かれるようになりました。「30歳かぁ…もっと大人だと思っていたな…」と、皆さんはどうですか?20歳…22歳…25歳…もっと私よりも人生の先輩な方々も、今の年齢のとき、過去の自分はどうなっていると考えていたでしょうか。

私なりに波乱万丈な人生を送ってきているので、このブログで振り返っていきたいと思います。ちょっと長いので目次つけました。

ー大学を中退した19歳

柔道整復師になりたかった私は、高校を卒業後大学に進学しました。母子家庭だったこともあり複数のアルバイトを掛け持ちしながら大学へ通っていました。大学資金は奨学金を借りてもなお足りず、私は2年生に上がる前に大学を中退しました。周りからは「勿体無い」と責められました。

そしてS社というアパレル会社に入社し、店舗に配属されました。始発から終電まで働き詰めだったのを今でも思い出します。現在は就労環境は改善されているようですので当時のお話になります。働けども働けども社販でお給料は消え、手取り14万程だったでしょうか…あるとき体調を崩し辞めることになりました。(精神的には元気でした)

ー恩師に声をかけられた21歳

アパレルを辞め、有給消化中でしたが"働かざるもの食うべからず"の家庭で育っている私は、家にお金を入れなければなりません。百貨店の販売員の派遣に入ったり、少しでも補填できるよう次の仕事まで働いていました。

中学時代の家庭教師だったM先生に「今何してるんだ?うちの会社手伝ってくれ」と声を掛けていただき、Mさんの会社を手伝うことになりました。主にECサイトのバナー作成や営業事務がメインでした。手伝いはじめて1ヶ月も経たぬうちに受託していたB社へと出向になりそこでしばらく働くのでした。

当時のECサイトは楽天・Yahoo!・おちゃのこネットくらいが有名だったかと思います。(間違っていたらすみません)受発注、仕入れ、配送など全ての業務をおこなっていました。環境にも恵まれ楽しく過ごしていました。

ー衝撃な事件が起きた22歳

ここが人生の1番ネガティブな変化だったかと思います。簡単にお伝えすると借金しました。世の中に対しまったくの無知だった私は、人を疑うことを知りませんでした。高校の友人だった人からいわゆる「おいしい話」をもちかけられ、高校卒業後もよく遊ぶ仲だったためもよく調べず、話に乗ってしまい数百万の借金を背負うことになったのです。大バカ者なのは重々承知しておりますので、お静かに続きをお読みください(切実)

あっという間に降りかかってきた数百万の借金を返そうと、夜のお酒と笑顔の提供するお店をかけもちで働きはじました。(察してください)
ですが、働けどもなかなか返済の額は減らず、思い切ってMさんに相談しました。「お前なら夜1本にして真剣にやったほうが稼げるかもな、トーク上手いし」と言ってもらえたのでチャレンジすることにしました。

ー救いの22歳後半

夜も慣れてきたころ、不動産にお勤めの方がお客さんにいました。Yさんという恩人です。私の事情も知っていたため、思い切ってもっと効率よく返済できる方法はないか、体力ならいくらでもある!と相談しました。そのとき「じゃあうちでフルコミでやってみる?」と投資用マンションの販売営業に誘っていただき、夜と掛け持ちでやることになりました。

月~日まで働き詰めで休む暇なく、友達と遊ぶことなくひたすら返済にコミットしていました。辛いし苦しい…でも楽しかったです。
夜の仕事では様々なお客様が訪れ、人生を聞く。参考になることも多かったです。不動産の方は契約が取れてた際、お客様に"ありがとう"と言われることがなによりも「頑張っててよかった」と思える瞬間でした。そしてその度に「人に騙されて大変な思いをすることになったけど、選択したのは自分で高い勉強代を払ったおかげで、こうして人の暖かみに触れることができている」と思えるようになりました。

ー爆弾を抱えた23歳

体を酷使しすぎたせいか、女性特有の病にかかり手術をしましたが、定期的に健診をしていたから発見が早く簡単な手術で済みました。
まだ…まだあと少し頑張ってくれ自分の体よ…と、1週間で両方に復帰しました。ここについてはセンシティブな内容になるので割愛します。

―満身創痍の24歳

そして2年半かかりましたが、相当あった借金を返済することに成功しました。魂が抜けたかのような状態になりATM前で最後のお金を振り込んだ後、へたり込みました。さらに家に帰ってから大泣きしたのを覚えています。2年半ずっと気張って親にも悟られないようにしてきました。安堵とこれまでを思い出し気が抜けたのでしょう。

ー人のためになる仕事がしたい!24歳後半

これまで自分の為だけに走り続けてきましたが、昼職に腰を落ち着けるべく就職活動を始めました。SES営業の経験をすることになったE社です。
満身創痍だった私は、次の仕事を見つける際に「そもそも何がしたかったんだっけ?」と初心を振り返りました。

柔道整復師になりたかったのは、中学生までバスケットボールをやっていたのですが、そのときの先生があっという間に痛みを軽減するテーピングを施してくれたり、マッサージをしてくれたこと。日ごろから母にマッサージをしていたため「ありがとう」と言われることが嬉しかったことから"誰かにありがとうと言われる仕事"がしたかったんだと思い出しました。

ここでまたMさんが登場するのですが、SES営業という職種があると聞き、調べました。ただのエージェントではないという記事がいくつかありそれを見て色んな企業を受けることにしました。そしてE社に入社することとなりました。

ー違和感を感じた25歳

入社して間もなく、SESという事業に疑問を持ち始めました。開発案件と人をマッチングする。果たしてこれは本当に人のためになっているのか?、どんな仕事も慣れてくれば悪い面が見えてきます。本人の意図に反した案件も提案しなければなりませんでした。そういう案件が仮に受注になったとしても必ず現場で問題が起きるのです。

なぜ問題が起きたのか、仲介している身の私は知ることが許されず、うわべの情報しか聞かせてもらえません。エンジニアさんが他社所属のものを多く扱っていたという理由もあります。現在SESの営業さん悪く思わないでください、あくまでも私のいた会社での話です。疑問を抱いたまま働き続けた結果「もっとその先も一緒に歩んでいける環境にいこう」そう思うようになりました。

ー情報収集に駆け回った26歳

同じようなSES会社でも価値観や考え方が違う企業さんもいると思い、情報収集を始めました。得意なことで転職をすること、それが当たり前だと思っていたんです。ある知人から「メルカリの人事に知り合いいるから話てみなよ」とお誘いを受け、お話を伺うために渋谷に向かいました。ご飯を食べながらも色々メルカリという会社や組織について話を聞かせてくれました。
・Go Bold – 大胆にやろう
・All for One – 全ては成功のために
・Be Professional – プロフェッショナルであれ
メルカリのバリューです。私はその人の話に目を輝かせ胸が高鳴ったのを覚えています。そうして、自分の話になり「人のもっとその先も一緒に歩んでいける」そういう仕事がしたい。と伝えました。

「人事とか向いてるんじゃない?」

その人がそういった言葉を今でも忘れません。これまで営業しか経験のない私に、新しい道を広げてくれた方です。スーッと自分の中でざわざわしていた心が確信に繋がりました。こうして人事を目指そうと決めたわけです。

ー新米だよ!26歳後半

営業の経験は豊富でも、"人事"としては新米です。運よく未経験ながらにしてZ社に拾ってもらえました。そこで今の上司Hさんに出会いました。
人事の「じ」の字から教えてもらい、カルチャーフィットの大切さを社長から学びました。その会社のカルチャーはこう!みたいなバリューがZ社には無く、社長が面接をしていたのでほとんど感覚で覚えるしかありませんでした。

入社してすぐ「この動画見といて」と研修動画を見せられるものかと思いきや、とあるアイドルのライブ動画を見せられました。私なりに咀嚼して飲み込み、こういうことか?がハマりました(笑)なんだそれ!と思う方もいる課と思いますが、本当の話です。歌詞から、映像から"がむしゃらでも何かをつかもうとする人"の像をキャッチし採用の選考に充てていきました。

ー独り立ちの27歳

私が独り立ちをし、ある程度1人で回せるようになっていたため、Hさんは財務など経営に関わるお金周りを担当するようになっていきました。そうしてもっと育成や採用がやりたいとHさんは転職していったのでした。

ーコロナ到来の28歳

皆さんもよく覚えているのではないでしょうか、あれよあれよという間に広がったコロナウィルス。飲食店向けのプラットフォームを作っている小さな会社はコロナの打撃を受け、業績が悪化していきました。採用も止まり、社内向けブランディングに精を尽くしていた当時、もっと採用に関わることがしたいと転職を考えるようになりました。

ー同じ方向向いて走っていける会社が良い29歳…そして今

下記記事で転職理由をざっくりつづっているので、よかったらご覧ください。よく「おみつさんが今の会社に転職した理由はなんですか?」と聞かれます。「採用・採用広報ができること」「社長が人事に対して真剣に考え取り組んでいること」「まだHさんに教わることがたくさんあり一緒に働きたかった」この3つを網羅しているのが今の会社ギャプライズでした。社長面接の際に、人に対して真剣に考えている社長っているんだなと思ったのが強い印象として残っています。大切にしているこそ、ときに厳しく、ときに優しくあるのだと。

さいごに

悩んだり躓いたりしたら、自分の原点は何かを考えるきっかけになったらうれしいです。それでもわからなくなってしまった場合はおみつにでも軽く話してみてください。
そして私がこの振り返りで改めて思ったこと
・立ち止まったら周りの意見を取り入れる
・自分でどうにもならなくなったら恥だと思わず頼ってみる
・どんな辛いことでも楽しんでしまうことが大事
・自分の軸とは何かを改めて振り返ってみる。
・きちんと考える時間を作る

それでは皆さんまた会いましょう!Twitterも遊びに来てください!


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