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私はいい子だから、道徳が嫌いだった


夏。97%くらいの割合で在宅&ステイホームしているので、今年は寒い夏を送っている(クーラー効きすぎ)。
だから大好きなYUIのSummer Songを聞いても海に行きたいって思えない。
なんたる悪影響。


そんなこんなでステイホーム中にすることといえば、オリパラをみるか本を読むか携帯をいじるかな訳で、普段は入ってこないいろんな情報が入りまくってる。
そして印象に残るのはたいていネガティブニュース(とも限らないのだが)。
なんたる悪影響。(が言いたいだけである。笑)


先日の生活保護の人権に関する発言を聞いて、社会保障とか福祉について考えるようになった。
もともと私は介護の会社で働いているので、福祉については多少なりとも触れる機会があるのだけど、改めていろんな本とか文献を読んでみている。


■そもそも社会福祉ってなんなんだろう


日本の福祉制度って本来みんなのもののハズなんだけれども、なかなか若い人たちにはその実感がない。
なんで税金だけ取られるの?と思ってしまう。

実際私も「社会保障費たかくない?私から取りすぎなんですけどぉ~」なんて、おもわずギャルになっちゃうほどに思ってしまう。

でも日本の社会保障制度ってすごいんですよ。
まず、世界でもなかなかない国民皆保険、みんな平等に国が最低限度を保証してくれる。
「え~そんなんアタシ病気になんかならないしぃ、別に親も働いてるしぃ要らないんだけどぉ」という、そこのギャル。待ってくれ。


いつかあなたも病気になるかもしれないし、親の会社がつぶれてしまうかもしれないよ。だから社会保障制度は何かあったときのためのセーフティーネットなんだよ。


──なんてことは言わない。
もちろんそうなのだけど、それじゃあギャルも私も納得できない。イメージできない。

もっと身の回りのことで置き換えてみたい。

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※こちらは私がイメージするギャル。めちゃめちゃ世代だった。
朝6:30に起きて観てたきがする。










■私たちは知らないうちに福祉の恩恵を受けている


私は日々の生活にそこそこ満足をしている。仕事があって、友人もいて、美味しいご飯を食べる。充分な生活。


だから私は納税だけしていて、仕事をしていない誰かを助けてあげている。


なわけあるかぼけ。


思わず関西弁が出てしまった。生粋の埼玉県民なのに。

その暮らしの中には
学ぶ機会を小さいころから与えられてたから働けるし、学校コミュニティに属したから友人ができたわけだし、そもそも綺麗なトイレがあるから、ご飯くってクソして寝れてるんや。
てめぇの努力も認めるが、てめぇだけで生きてこれたわけじゃねぇんよ。

学校にいけるのも、仕事ができるのも、トイレにいけるのも、福祉が整っているからなんだよね。

トイレ我慢していたら思う存分渋谷を歩けないし、ネイルも鬼電もできないわけですよ。

マズローの欲求5段階説でもあるように、人は安心・安全を感じれたあとにようやく社会的な欲求や承認欲求を満たせられる。

だから私やギャルが「私から社会保障費とりすぎぃ~」とIKKOさんバリに言えるのも、そもそも社会保障制度が機能していて、安心・安全の欲求を満たせているから。

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※こちらはサイトから頂戴した本物のIKKO様。お美しい。









■私はいい子だったから、道徳が嫌いだった


いまは心のギャルが暴れているけど、小中学生のときはいたって真面目でギャルとは無縁の生活を送っていた。

そんなnotギャル、but平凡な小学生の私は道徳がとにかく嫌い。


先生たちはみな「道徳に答えはないから思ったことを自由に話して」というけれど、完全に意図があってその意図にそぐわない解答はするっと外していた。
「そういう考えもあるけど…」と、訂正をしていく。


絶対解はないけど、でも確実に正解があった。


私はいい子だから、先生が求める答えを探して、それをあたかも自分の意見のように話していた。


こうすれば先生、私のこと誉めてくれるんじゃね?って、子ギャルの私は思ってた。
(結局すねる時はギャルになっちゃうのだ)


そこに窮屈さとか、理不尽さとか、矛盾をいつも感じていた。

でもさ、今なら分かるんだよね。
あの時先生たちは「答えはない」って言っちゃいけなかったんだと思う。

もっと人としての権利についてちゃんと問うことが必要だったんじゃないかな。

人はみな幸せに生きる権利がある、とか、最低限度の生活が保証されている、とかそういった人権についてもっと子どもたちが理解した上でないと、なんとなく先生が喜びそうな答えを探っちゃうんだよ。

「そうだよね」って先生に言われるとその方向でしか考えられなくなって、
だから全員思ってもないくせに「自分がやられて嫌なことはしない。イジメハダメ」とか言っちゃうんだよ。
そもそも自分が嫌だと感じることと他人が嫌だと感じることは違うのに。


そして福祉について、社会について、他人について考える機会が奪われ、大人になったあとも平気で他人を排除する。

■まとめ
言葉は壁をつくるし、言葉が壁をこわす

多様性という言葉をパラリンピックを通じて聞く機会が増えた。

多様性、障がい者、LGBTQ、男女平等、、、受け入れていかなきゃいけない世の中。

──なんで受け入れる側なんだろうか。

言葉があるから、人の思考は分断され優劣がつけられてしまう。
でも言葉のおかげで制度がうまれ、安心して暮らせる社会に近づけていける。

だから道徳はちゃんともっと自分と他人と社会との繋がりを学ぶ機会にしなきゃいけない

なんてことを考えた夏のおわり。


■おまけ


・夏はYUIのSUMMER SONG、9月からはRADWIMPSのセプテンバーさんばかり聴いてます。
・ギャル語も関西弁もルー大柴語も好きだよ。
・さいごに最近読んだ本の一部も紹介

教養としての社会保障


スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか


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