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お客さんから時間をもらっている。

だいたいの大事なことはカウンターの中で学んできた。酒を注ぐ技術だけではなく、コミュニケーション、掃除のしかた、空間のつくり方、人間関係と人間観察、物事の捉え方などさまざまで、むしろ「バーテンダーだからカクテルをつくるんでしょ」以外のところに学びが大きかった。

不思議なもんで、カウンターの中にいると(やっかいなお客さんはいても)嫌いなお客さんというのがいなくなる。そう、それは”カウンターの中”限定であって、カウンターの外、たとえば、同じお客さんとして自分が座っていたら「こいつ嫌なやつだなぁ、酒がまずくなる」と思うことはあたりまえにある。

板一枚を境界線として、意識が変わる。隣にいれば「めんどうくさい人が同席している」と思う人でも、カウンターを挟めば「わざわざ来てくれた人」になるのだ。

ぼくの感覚では、バーにくる人で、本当にお酒が好きな人は、10人いたら2人くらいじゃないかと思っている。じゃあ残り8人はなんでバーに来るのか? 

それは「上司/部下や恋人と雰囲気あるところで過ごしたい」とか「うれしいことやかなしいことがあったから話を聞いてもらいたい」とか「(逆に)バーテンダーの話を聞きたい」とか「お店にくるお客さんとつながりたい」とかいろいろである。

お酒の知識をやたら学んでいる人も、その奥にあるものを見れば、さみしさを紛らわせるためであったり、バーという場所において知識があることは一種のマウントがとれることにつながるからだったり、あくまで自分の感情と向き合うための”お酒は手段でしかない”ことが多い。

一番のかなしみは、自分がどんな精神状態かもわからぬままに酒を飲み、曖昧なままに、うやむやにしてその日を終えようとすること。酒の場はたのしいところだけど、実は、その裏側にはさみしさとかなしみとかがあって、バーテンダーの仕事はその裏側にある感情に寄り添うことだと思うのだ。

カクテルをつくるのは、バーテンダーの1割の仕事でしかなくて、残り9割は人間を考えること。だから、「酒が好き」よりも「人が好き」でないと成り立たない仕事であるとよく言われるのだろう。

どちらかといえば、ぼくも心のどこかにかなしみとか虚しさを抱えている側の人間だからか、お客さんの楽し気な表情の裏にある影にはつい反応してしまう。だから、カウンターの中では、「どんな人にもここにいるには理由がある」という考えで、博愛をもって立ち振る舞うようになる。

ちょっと言い方を換えれば、「いじめっ子にもいじめる理由がある」という理由に寄り添っていくのが(おこがましくも)バーテンダーの仕事で、カウンターの中にいるもう一人の自分がやろうとしていることでもある。

1日24時間あるうちの30分なのか、1時間なのか、あるいは3時間かもしれない。もしかしたら家や職場からは離れいるかもしれない。一緒にくる人と約束を取りつけるのにも苦労したかもしれない。そのうえで、1日の時間を割いてバーの扉を開けてくれるんだから、そりゃ「うれしい」と「ありがとう」という気持ちにもなる。

お客さんから時間(とお金)をもらっている。その代わりに自分が提供できるものは何なのか、提供できるものを磨いていかなければ、と思うのだ。

そうそう、日々精進、ということばがあるけど、これを言うのはべつに「まじめだから」とかそんな理由じゃなくて、リピーターも新たなお客さんも巡り巡る仕事だからこそ、日々精進していかなくちゃ廃れるよ、という危機察知と回避のために言ってるだけのことじゃないかなぁ。飲食の人の場合は。

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