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東京は何するところ?

「ふと思ったんですよね。あれ、東京じゃなくてもよくね? って。」

 最近、とある友人とスカイプ越しに話をしていたときに、彼の口から突然飛び出した言葉だった。

 地方の大田舎から上京して、もう数年の東京暮らし、その雰囲気からはスマートに都会に熟れた青年に映り、自分の活動を始めた様子も知っているので、その言葉はびっくりするほどに意外だった。

 ただそこで思い出したことがあった。

 数年前にボクも同じことを思っていたことを。大学を機に沖縄から上京して、社会人として街に溶け込んだ、東京7年生の頃だったけか。

 「なんで今東京にいるんだっけ?」「東京にいることに固執してないか?」「てか、まじで”いる”だけになってないか?」「逆に、東京じゃなくてもいい理由を探したことあるっけ?」

 と、 沖縄の離島で育ったための感覚が、日常の重みに耐えきれずに、自分に訴えかけるようになり、焦燥感にかられる日がずっと続いた。もちろん、それだけの簡単な理由ではなかったけど、ボクはそのタイミングで違った地域の価値観に揉まれなくちゃいけないと思って、東京を離れた。

 国内留学として京都に約一年住んでみて、さらに、香川や福岡に立ち寄ったり、また沖縄に戻ってみたりしながら、大人になってみてから得た目で、洗脳的に”東京至上主義”になっていて今まで見えていなかった地方のリアルに触れ、さまざまの価値観と、それが適応された地方の暮らしを学んだ。

 それから、また一度東京に戻った。そのタイミングで、北参道駅近くの沖縄料理屋に連れてってもらったのだけど、突き刺さる言葉がそこにあった。

 沖縄出身のおばあちゃん一人でやっているお店だ。もともとイギリスパブだったお店を居抜きどころか、店名までそのまま使っているようで、その適当さに沖縄の”てーげー(適当)”な精神が感じられて嬉しくなるようなところ。

 もう80歳近かったんじゃないだろうか。戦後すぐに東京に流れてきた、とそのおばあちゃんは話していた。車の荷台に忍び込んで移動したこともあったし、自分で服を仕入れて売って日銭を稼いたこともあった、という話を聞いた。その年齢と比例した見た目とは裏腹に言葉は力強くて、何より、その一人で生き抜いてきた経験値がたくましさを感じた。

 ボクは、今東京にいるけど、また何年かしたら地方に行こうと思っているという話をした。すると、彼女は、こう口を開いた。

「そうね、とにかく、東京にいる間にできることはやって、吸収できることは吸収したらいいと思うよ。東京は『学ぶ』ところだから

 東京でずっとたくましく生き残っている沖縄出身の大先輩がそう言ってくれたのは心強かった。そして、ボク自身なんとなく感じていた「東京」を彼女は言葉にしてくれた。

 東京は、人も、情報も、技術も、日本のなかでも超局所的に集まっているところ。そのなかで、つながった人や、掴んだ情報、身につけた技術を活かすことは大前提で、どこでどう自分が生きていくかは自由だということ。

 さきほど「自分はただ東京に”いる”だけじゃないか」と自問自答したときがあったと言ったが、最初はそうだった。だけど、東京に再び戻ってからはそうじゃなかった。

 東京で自分が学ぶべきものが見えたし、東京を離れるべきタイミングもなんとなく見えるようになっていた。もちろん、現状、まだまだ学びたいことは尽きないし、技術も足りてないところもたくさんあるのは自覚している。けど、それがあったからこそ、ボクは今鳥取にいるのだと思う。

 とはいえ、東京は変わらず好きなままでいる。今は、自分と東京との距離感がだいぶ掴めてきて、その付き合い方が分かってきたようなかんじ。

(好きでよく聴く”東京の歌”も多い)

 友人の言葉とその文脈からは、似たような思考回路があったんじゃないか、と感じたわけで、だから異常に嬉しくなったのだ。

 東京が学ぶところだして、地方はそれを実践するところだとする。そのとき、地方の良さてのは、精神的/コスト的なハードルを下げ「小さく始める」ことができるし、都会にあったムダを省いたりして「小さく生活をまとめる」こともできるポテンシャルにあると思う。

 東京じゃ(いわゆる”強者”じゃないと)やりにくいことができちゃったり、その地方で動いてる熱量が不思議と東京に流れ込んだりすることもあるから、やっぱり地方はおもしろい。


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