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「住んでくれてありがとう」じゃなくて

うまくいかないことばかりで 項垂れる

never young beach『サイダーのように言葉が湧き上がる』の唄い出しの歌詞である。ふとふり返れば、まさに「そんなあんばいが続く1週間だわなぁと」思うのだけど、今にはじまったことでもなく、定期的にうまくいってない身としては、月1で遊びにやってくる友人くらいの親近感すら湧いている。自分の情けなさも、運やタイミングの悪さもあきらめちまって、ゆるやかにLife goes on.っつーことで。

あ、そうだ、項垂れながらも嬉しいこともあったんだったや。

お盆だったこともあり、毎年恒例のミニイベントがあった。それは、今住む家「な〇」のこと。気づけば、住みはじめてからもう5年目の家。

家を借りさせてもらうなか、仏壇だけは残したままになっているため、お盆の時期には、手を合わせに来てくれる。普段は少し離れたところに住む大家さんらと話ができる少ない機会だったりもする。

「おっしゃ、お盆だ……人が来るから草刈りと掃除やらなくちゃ……!」と焦りつつも、ご近所さんの手も借りながら、汗タラタラで作業しながら、可能なかぎりの「きれい」を目指して動き回った。

そうして準備万端で、大家さんらをお迎え。今回は、普段はあまり来ることのない、この家で育った90歳近い大おばあちゃんもいらっしゃる。手を合わせたあと、いつも通り、ちょっとした世間話などを。すると、猫たちが何度も通り過ぎ、大おばちゃんは「あら、かわいいわね」「きれいな毛並みしてるねぇ」「白いのは何匹いるの?」と思いもよらず、猫トークに花が咲いてしまった。

ここで育ったから、ほんといろんな記憶があるだろうに。

数分話しただろうか。お気をつけて、をぼくが言いかけたとき、腰の曲がった大おばあちゃんがぼくの目をまっすぐに見てこんな言葉をかけた。

「こんな家に住んでくれてありがとうね」

庄屋でもともと人が集まる場所だったと聞いた。蔵に、母屋に、厩に、庭に、家族と過ごしたり、友達や親せきを呼んで遊んだり、喜々と梅やミョウガなど季節のものを採ったり、ときにはちょっとした怒ったり哀しいこともあったはずだ。そんな記憶がしみ込んだ家を、一度はだれも住まなくなった家を、住んでくれてありがとう、と言うのだ。

いや、ね、そうじゃないんすよ。

ぼくのほうが「ありがとうございます」なんですよ。

ほんとマジで。

猫5匹とゆったりのんびり暮らせて、きっと昔ほどじゃないだろうけど、ちょくちょく友人知人が遊びにきて、人を迎え入れるところになっていて。この家の暮らしに触れ、大山で他の古民家を見つけて引っ越したり、都会で囚われてた価値観をいい意味で揺らがされたり、"家鳴"っていう妖怪の招待が掴めたり、猫アレルギーのくせに猫と暮らしはじめてアレルギー克服したやつがいたり、意図しないところで、いろんな影響が生まれてるわけで。恩恵受けまくってて。

それもこれも、この土地と家を守り続けてきてくれたから。そして、次世代に繋ごうとしてくれたから。ぼくは与えてもらってるだけにすぎない。それなのに、家守としてまだ家をちゃんと整えられていなし、改修やら企画やら元々やろうとしてたこともスローすぎるくらいで進めてるし、ちょっと申し訳ないくらいで。

ギブ&テイクでいえば、ぼくがこの家で住ませてもらってるだけで、凄まじいテイクをしちゃってて、逆に自分がどれだけのギブができてるのか、って不安になるくらい。

だから、もっと納屋とか雨樋とか小まめに整えたり、竹林とか垣とかきれいにできてないところもいっぱいあって、家も守りきれてなくて、ごめんなさい。それでも、ぼくをここに住ませてくれて、心底、ありがとうございます。家の役に立ててるか謎なのに、ただ住んでるだけで、ありがとうと言ってくれて。

5年契約の5年目がもう半年後には終わるわけだけど、もちろん、6年目以降もこの家で猫たちといっしょにゆかいに暮らしていきたく。お願いします。


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