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大きな家で、小さく暮らす。

広いか狭いかってのは、ストレスに大きく関係してくるみたいだ。

今住んでいる家ってのは、これまで住んでいた家に比べればバカでかいし、一般的な家と比べても大きいほうだと思う。母屋で10部屋ほどあり、2階建ての蔵が3つあって、2階建ての厩があって、離れがあって、という感じだから、一人で住むにはもったいないし、さみしすぎる。

それもあって、ぼくも含む3人で一緒に住んでいるわけだけど、「広い」ってのは、視界が広いせいか、気持ちも開放的になるし、頭もクリアになる。自分の部屋と共有スペースとトイレ以外にも、家のなかにサードプレイス的な空間があるのでうっぷんが溜まりにくい。

ぶっちゃけ、雨風しのげて一畳あれば生きてけます、という借り暮らしを2年近くやっていたのもあり、あまり広いことにこだわりを持ってはいなかったのだけど、環境が変わったことで、広いってだけでこれまで”見えてなかった日頃のストレス”から解放されていることに気づかされた。

じつは、その兆候自体は都内にいるときからもあった。家でシャワー浴びるよりもだだっ広い銭湯に行って考え事するのが好きだったし、緑が多く開けている井の頭公園にはよく足を運んでいたし、都心部のほうで席がとれるかどうかを気にしながらカフェに入ることにめんどうくささを感じていたのだ。

広い場所に行けば心のどこかで安らぎがあるのを身体がわかっていて、そりゃ島で育ってしまったのだから当然と言えば当然なのかもしれない。大自然で暮らしていた動物たちが人間につかまり、動物園の檻に入れられ窮屈さを感じている、本能が押さえつけられている、そんな状態みたいで。

スペースを確保するためにはコストがかかる。だけど、そのコストのかかり方が、都会と田舎では違ってくる。言ってしまえば、自分の心地よい(暮らすOR働く)環境づくりにかかるコストは、田舎のほうが下げやすい。

ぼくの場合、「(世の中は地獄のようなものでしんどいのが当たり前だと思うので)日常におけるストレスをどれだけ減らせるか」という価値観で自分の暮らしと仕事を整えていけるかを考えるタイプなので、居心地がよい環境をつくれさえすれば、多くは望まない。それがローコストでできると都合がいい。そのぶん、そのために働く時間を減らすことができるから。

生活のために最低限必要なコストも、都会のこれまでに比べるとグッと下がったぶん、他のことに割くための時間ができたのは、自分のなかで起こった暮らし方改革といえる。そのうえ、これまで以上にだだっ広い空間を持てて、遊び/商いをつくれる可能性も見つけられた。

大きな家で、小さく暮らす、小さく始める。

その入口にやっと立てた気がする。都会も好きだし、都会じゃないと得られない環境/関係はあるし、そんなもん地域と人の”ねるとん”(相性)でしかなく、田舎が絶対いい、と言うつもりはないし、田舎信者は気持ちわりぃと正直思うけど、ぼくはわりと田舎が合っているみたいだ。

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中見謝
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ケケケ(という屋号) / 編集思考で地域にたゆたう / 百姓2.0 / ローカルプランナー × バーテンダー / 元ライター / 芸能と民俗と風俗 / ことばと思想とコミュニケーション / "そうじゃない"選択肢を / なで肩
コメント (1)
ヘッダーについている写真の家、とてもすてきですね。気持ちのよい空間はもちろんのこと、その空間を、思う存分、お好きなように利用できる可能性が山ほどありそうですね。すばらしいです。
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