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「どこに住もうか」なんてまじめに考えなくていいのかも。

 ずっと地元がある人がうらやましかった。あ、それも今も変わらないか。うらやましい。

 この「地元がある」というのは、物理的あるいは法的な意味ではなく、心理的な意味での地元の有無の話なんですよね。

 ぼくには地元がない。

 物理的な話をしちゃえば、長崎平戸島で生まれ、すぐに神奈川へ。そこでも川崎や横浜のなかを行ったり来たり。9歳くらいで沖縄伊平屋島に移り、高校から那覇に出て、大学からは東京へ。東京も学生生活から約10年くらいいたわけで、じつは一番滞在した都道府県でもある。

 沖縄っぽい名字だし、じつは大見謝家の家系図が首里城に残ってるということまでわかったし、わかりやすいから「沖縄出身です」とは言うものの、心理的には沖縄が地元という感覚がまるでない。だからといって、幼少期を過ごした神奈川でもないし、生まれた長崎というわけでもなく、「地元がない」という感覚に陥っている。

 たぶん、これは“転勤族あるある“なのかもなぁ、と思いつつ、そういう移動癖のある家系に育ったせいか、大人になってからもライター等の仕事で日本各地をあちこち動き回っていた。まわりの人からは「今どこにいるの?」という挨拶をもらることも多かったくらい。

 そんな動きまくって自分にも、当時動きまくっていた理由がそれなりにあった。一番最初はシンプルで「自分の知らない日本を知りたい」という気持ちからだった。

 そのきっかけは大学時代にある。東京外国語大学という海外かぶれが集まるような大学に入学したこと。御多分にもれずボクもその海外かぶれの輩だったんだけど、専攻語(学科)が日本語だったことに救われた。

  当時の日本語科(通称ジャパ科)は、45人中15人が日本人。残り30人が留学生だった。留学生と聞くと「日本語を学びにきました...」というカタコトの外国人をイメージするかもしれないが、そのほとんどが日本語検定1級レベル、つまり日本語で論文の読み書きはできちゃうし、ディスカッションも問題ないレベル。

 ちなみにいえば、そのほとんどが漢字を扱うような国の出身。韓国や中国出身の人が多かった。その他にインドシアやマレーシア出身の人がいたりして、1人くらい欧米出身がまざるほどの比率である。さらに、同級生といえど、その日本語レベルの現役生は2~3人程度で(おそらく自国では“神童“だったんじゃないだろうか)、ほとんどは年上だった。

 18才で入学するも、平均4~5才の年上で、生まれ育った環境がまるで違う異文化の同級生に囲まれ、4年間をともに過ごすような学科だった。しかも、海外をめざして入学したのに、日本(と日本語)をおもしろいと思ってるような人だらけなので、否応がなしに“日本のおもしろポイント“を日常的に聞くことになる。

 すると、「あれ、日本っておもしろい?」という気持ちに自然となってくる。刷り込み効果ってすごい(笑)。で、長くなったけど、それがぼくが「自分知らない日本を知りたい」と思った純粋な理由だった。

 余談ですが、ジャパ科の講義内で外国人視点でのアイヌ・沖縄史を(ふまじめながらにも)学んだのも大きかったのかも。それは、物理的距離と地域関心との関係性を考える機会としてよかったことは次の記事で書かせてもらってます。

 さてさて、全国各地をうろうろしていた理由の話、進めちゃいます。

 そう、“最初”はまだ見ぬものを見たい知りたいだったんだけど、その理由は次第に変わっていった。各地でさまざまなスタイルで暮らす人の話を聞いてると、「その人がここにいる理由」ないし「そこに移住(大移動)してきた理由」が気になりはじめたのだ。

 新たな土地で根ざそうとしている、その姿がやけにまぶしく映った。特に、ボクと同じように「地元がないんですよ」という人が「地元がないから地元をつくろうと思って」という話を聞いたときに、「あ、その感覚なぁ」とビビッときた。

 ボクも、地元がないから地元をつくりたくてだから地元にできそうな場所を探していたのだ。そこから「地元(になりそうな居場所)をみつける」ことが各地をまわる理由になっていった。

 そこからだ、わりと長かったのは。「どこに住もうか」と考えはじめると、一向にどこに住むかなんて決まらない。ようは、条件みたいなものをリストアップして、いろいろ調べてみて、「あ、その条件なら、はい、ここがマッチします」と大手不動産ウェブサイトみたいにわかりやすい話ではないのだ。

 結局、今住んでいる鳥取というのは、“なんだかんだ“で住んでしまっている。そう、なんだかんだ、なのだ。住みたい条件をいろいろ精査して、この場所にしたわけじゃない。

「ああ、なんかおもしろい人多いな。のびのびと生活している人が多くていいな。世間一般の“普通“とここの普通は違うな」

 と、3年前の取材仕事をきっかけに来た鳥取で、気づいたことがまず最初。会いたい人がいれば、そこに通う理由になる。1年に1〜2回くらい立ち寄る場所ができて、そのなかで「小学校のときの縁」や「水木しげる」のつながりを思い出したり、「最小人口県の強み」だとかを後付条件にして、とりあえず住んでみようかなと拠点を変えた。

(うまく言語化できてなくても、引っかかりや"しこり"が3つくらいあれば、移り住める理由にはなるし、その地域に自分がいる意味はいくらでも見つけられる)

 さっき書いた「鳥取を地元にできるのか」というのすら、よくわからないままの選択だった。地元にできそうな余白があるのだけど、現状は「最終的に地元になればラッキー」くらいにしか思っていないし、今後鳥取以外にも拠点ができるかもしれないし、もしかしたら海外に移り住むかもしれない。

 自分のライフステージがどう進むのかは読めないし、読めてたまるかっていう話もあるし。

 もうそれは、そのときの“流れ“次第だと思うのだ。今回、鳥取にボクが住むようになった流れと同じで。物事の理由なんか、すべて後付けでいい。言葉を選ばずにいえば、なんでも理由をこじつけようと思えばこじつけるのは簡単なのだ。その前の、行動に踏み切れることのほうが大事。日本人の多くは、自分が動く理由を難しく考えるクセがあるようだから、なおさらそう思う。

「どこに住もうかなァ〜、って悩んでるんですよね」

 と口にする20代の子たちがボクのまわりには何人もいるのだけど、そんなこと考えていても始まらないから、考えなくてもいい。まじめに考えれば考えるほどに迷宮入りして、苦しくなるだけだから、そんなんしなくていい。

 何かしら動いていていれば、新たな人と地域のつながりが生まれるし、思い出す昔の縁だってあるのだから(ボクとしては、“昔の“縁というか、ルーツのほうが当人にとって芯を喰ってることが多いように感じる)。

 うーーーーんと考えることも大事だけど、悩みごとなんて上の空で、動きながら身体的に感じられるようになるのを待つほうが健康的だとすら思う。

 そのうち見つかるから、頭でこねくり回すことよりも、目の前にあるものをこねくり回し続けてみたらどうですか。普段そうやってまじめに考えられる人なんだから、動いて/動かしてりゃなんか勝手に見つけるでしょうよ。

 というのが、ぐたぐた書くなかで、一つ言いたかったこと。前置きが長くてごめんなさい。

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