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山と街のARメガネーーーアシリパから見える世界

 できることなら、多種多様のメガネをを切り替えるような生活をしたい。

 「山」の生活をしたことがなければ、山はただの山にしか見えないという。つまり、山は「木や岩、あるいは緑や茶色の集合体」にしか見えない。そこにある動物の糞、獣道、旬の植物、地形の特異さなど山(の立地)によって異なる、生きとし生けるものの息づかいなどの細かな軌跡を見逃してしまう。

 最近観始めたアニメ『ゴールデンカムイ』で、アイヌ族の少女アシリパは、山や森をよく観察し、何も知らないような人からすれば「ただの木」「ただの草」と通り過ぎるようなものを薬や道具、食物としての価値に変え てくれる。同じものでも解釈一つでゴミは宝に変わる(逆も然り)。

 「造詣が深い」という言葉は、本人の趣味趣向、興味関心から辿りつくものだと思われがちだが、実のところ、その「観察を怠ると生命の危機に晒される」もしくは「暮らしを支える信仰のもと」といった土台がある。ポジティブな気持ちの有無にかかわらず、その環境下に身をおけば、感覚は研ぎ澄まされ、ぼんやりと「木」にしか見えなかったものも、「葉の形から何の木か理解し、その生育状況や住み着く動物の生態から季節や異変」をくっきり感じとれるようになる。

 解像度が上がるとはこのことなんだろうけど、鳥の目から虫の目へといった単純な視点の切り替えではないように思う。

 都会の人からすれば、山がただの山であるように、田舎の人からすれば街のビルはただビルでしかないことも多い。まさに沖縄の島育ちのぼくからすれば、上京したてに立ち寄った新宿駅周辺とはそうだった。何がどう違いがあるのか、わからなかった。それは都会とか街で暮らす身体性が抜け落ちていたからだろう。

 数年と暮らしているうちに、新宿の東西南北に分かれる改札ごとに世界も分かれることを理解する。西口のオフィスエリア、東口のきな臭さ、南口の外国臭が増した不思議なハイソ感。木や植物の区別がつくようになってきた。その土台に加え、本やカレー、酒の関心が増えると、街行くときの本屋や飲食店の看板がひどく気になるようになる。ビルを上や地下への観察が広がる。鹿や熊が残す痕跡(記号)へのアンテナや勘所が身についた。

 良くも悪くもそこに入り浸るという慣れのおかげで、どこも同じように見えていた風景が、細やかに彩りのある風景だと感じられるようになる。それは、余裕ができたからでもある。走っていると気づかないけど、歩くと気づくといった感覚にも近い。

 慣れという身体性を獲得することーーー田舎者にとっての上京初期は、新幹線や車に乗って、ものすごいスピードで走り抜けることでもあるわけだ。落ち着きゆっくり歩き、観察できるようになってやっと次のステップへと向かっていく。

 自分の興味関心(仕事などに必要不可欠な場合も多々ある)に合わせたメガネを得る。これはわりと高性能で、造型を深めるほど、テーマが増えるほどに、街の情報をAR(拡張現実)として表示できる"スマートグラス"でもある。

 しかし、あくまでそのメガネをかけているのは、自分でしかない。他人がかけても度が合わず、目が痛くなったり、眩暈や頭痛を引き起こすこともある。だから、「自分には見えない世界が見える人のメガネを掛けてみたい」と望んでも、これがなかなかに難しい。

 替わりに、その人の書く文章、描く絵、話す言葉を通じて、そのメガネの向こう側を想像する楽しみはある。「コミュニケーション」という、もう何兆回以上も日常で擦られているかわからないこの言葉は、生まれも育ちも仕事も違う人同士が、それぞれの見える世界の共有を目指しているはずだ。

 そうして相手のメガネの向こう側を探る情報を蓄積していくと、いつか自分にも見えるようになる日も訪れる。

 あくまで、その視界はやはり自分のものだけでしかなく、見えるのか/見えないのか(見ようとするのか/見ようとしないのか)は、イッツアップトゥミーなわけで、自分のメガネの性能は自分で磨いていくしかない。

 誰かからの借り物のメガネを頼って生きていこうとするのもいいけど、クソほどの身の危険が迫ったときにどうしようもない。無防備で狼に襲われ、喰われちまうよ。まあ、それも弱肉強食、生きとしい生けるものの人生ではあるか。

p.s. ちなみにキャッチ画像のような、刺繍されたアイヌの「紋様」は、魔除けの呪力が込められてるらしい。そう見ると、ただの"風変わりなデザイン"じゃなく、紋様ごとの呪力を読み取る記号になる。また、紋様を刺繍として縫い込む衣装も、「獣皮」「魚皮」「靭皮」といった素材を使い、暮らしを紐解く手がかりにもある。へー。おもしろ!(ほんのちょっぴりアイヌメガネが拡張しました)

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