見出し画像

メガネを替える

 ああ、やってしまった。と、毎月月初と月末に重ったるしさを抱えながら、始まりと終わりを迎える。

 あれと、これと、、とその月内でできたらいいことを思い浮かべるまではいいのだけど、それが100%達成することができないのが通常運転になっていることをどう捉えようか、と悶々としてしまうのだ。

 で、悶々としているうちにも、時間はだーっと過ぎていって、できていないことが多産されていって、、と負のスパイラルの仕組みというのはわりかし明解なんである。

 正直なところ、上記のような重ったるしさを抱えていたのは、ちょっと前のことで、今は肩の荷が下りたようにスッキリした状態で、月の始終と付き合えている(ような気がする)。

 そうそう、そんな気がするのだ。事実としては、思っていたことの100%は未だできておらず、状況はあまり変わってはいない。けど、きっと考え方が変わり、定着してきたのだと思う。

 自分の基本的な思考の癖というのが、”減点法”だということにあるとき気づいた。100%の理想形を軸に動こうとするから、少しでも「できない」が見えてくると、責めどころに気づいて、ヒヤッと青ざめて、イヤになってくる。

 ああ、そうだそうだ、そうだった。と自分のこれまでの人の捉え方を思い返して、ガツンと頭をどつかれたような心持ちがした。

 人の粗ばかりが気になっちゃって、あれがダメ、これがダメと、偉そうに上から目線で相手を採点するかのように。そうやって、関わりを持つ人を狭めていく、というのがボクのやり口だった。当然ながら、人間が小さい。小せえ。

 その小ささが人に迷惑をかけてないならいいのだけど、なにせ、よくよく考えてみたら、自分が損をしていたわけだ。”関わりしろ”がある人を、無意識で遠ざけていたのだから。

 なんかそこは改めてたいよねぇ、とずーっと思い続けて思い続けて、数年立って、やっとその思想がこの身に実装されてきたみたいだ。だから、去年くらいからはだいぶ楽。

 今はなんとなく、”加点法”的な考え方になりつつあって、あ、あの人これができる、あれもできる、、みたいな塩梅で、急激とまではいかないけど、じんわり、どんどんどんどん相手に惹きこまれるような感じだろうか。

 そんで、ふと思ったのが、ああこんな感覚なら、男女関係ってのもうまくいくもんなのかな、と。

ここから先は

593字

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。