本は畏まる上司じゃない。
誠に勝手ながら開催した「小林賢太郎の引退を見守る会」を経て、帰宅。コバケントークしてる真っ最中に公式チャンネルで過去公演がアップロードされており、何か運命めいたものを感じる日だったなあ。
さてさて、今日もプレイバックマイノーツ! 過去noteの振り返り。自分で自分で書いたものから連想することをまた書き散らしてゆく。
2019.01.29
昨日の「デジタル奴隷から抜け出せてない」話にもつながるんだけど、そうやって情報の波に”乗らされ”続けていると、自分とふかーく向き合うアナログタイムをなかなかつくりきれなかったりする。
ボクの中でアナログタイムの3本の指に入るのが、「散歩」「家事」、そして「読書」である。
「本を読むと良いよ」という圧のような周りからの声が先行していて、もともと本アレルギーを持ってたけど、ここ2~3年で「必要に応じて自分なりの読み方で楽しめばいいのか」と気づき、本の読書量&購入量がだいぶ増えた。
むしろ最近では、自分みたいに「本が好きじゃない人でも楽しめる本屋とかできないかなぁ」とひっそり計画を練ってるくらいである。とりあえず、新書だけでなく古本も扱いたいから古物商もとるか、と準備を進めていたりする。
が、そんな心持のくせに、最近では、あまり本を読めてる感じがしない。買えど買えど積読本がどんどんたまっていく。
おそらく、「スピードを意識する(どうせ内容なんて忘れるんだから何度も読み返せばいい)」サラッとした読み方ができてないんだろうなぁ。木たちを上げちゃってるというか、本に対してちょっと意気込みすぎてる自分がいるんだろう。これはよろしくない。食べ方の問題(その工夫不足)で食わず嫌いになって実生活に必要な栄養分が摂れていない状態だから。
ゆるめなくちゃなあ。あらためなくちゃなあ。いつの間にか凝り固まってきている考えを。
本は、ひれ伏し、ひざまつくもんでもない。何か畏まらなきゃいけない上司でもなければ、王様でもない。のっそりとでも自分なりの暮らしをつくっていくときに、手を貸してくれ、ときには息抜き/骨抜きさせてくれる、人懐っこいなんかいい奴なはずなのだ。
とりあえずトイレに行くたび最低1行くらいつまみ読んで別次元にとびこむアナログタイムをつくろうっと。
[today's tweet]
ルール化しようとしてくる人いるけど全力で阻止したい。だって、お互いの意識とコミュニケーションでどうにかるものをわざわざルールにするって馬鹿らしくないすか。しかも少人数なのに。そのルールが残って、自分たちがやらなくなったら、他の人たちからすれば、めんどくさい慣習にしかならないわけで
[today's song]
もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。