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1.10年後、映画になる話。

1、自営業なんかするもんじゃない

旦那さんは転勤族でありながら、
「いつか自営業がしたい」と
ずっと夢を持っていました。

だけど私は
「自営業だけは絶対に嫌だ!」と
強く思って生きてきました。

なぜなら私は
自営業の家に生まれ育ったからです。

子供の頃は何ひとつ不自由なく
暮らしていました。

両親は仲が良く、
家族も仲良く、
従業員もみんなイキイキと働き、
社長の娘である私は
小さい頃から沢山の大人達に
可愛がってもらいました。

外食や外出も多く
両親に連れられるお店は、
いつも子どもには似合わない
高級なお寿司やさんや焼肉屋さん。

旅行にも沢山連れて行ってもらえました。

自宅を増築して
兄と私に1人部屋も作ってくれました。

免許を取れば
すぐに車を買ってくれました。
いらないと言っても
ブランド服を沢山買ってくれました。

なんでも手に入るような
贅沢な暮らしをしていました。

けれど私が社会人になり
20歳を過ぎた頃から
そんな生活も傾き始めました。

会社が上手くいかなくなっていたのです。
仲の良かった両親が
揉める事が増えました。
経理だった母が電話越しに
色んな人に頭を下げる事が増えました。

従業員の顔付きが曇り始めていました。
会社に活気がどんどん無くなりました。。

そしてとうとう会社は倒産してしまったのです。

それから全てがガタガタと崩れてしまい、
苦労の日々が長い間続くようになりました。

苦しんでいる親、
いつも楽しそうに働いていた従業員達が
みんな辛い表情で父と話している。

父が
「お給料、もう少し待ってくれ、、。」
と頭を下げている。

全ての責任を背負う両親。
沢山の人に頭を下げても
済まされない日々。。

子どもという立場で
見ていた景色は
「自営業なんか、絶対にするもんじゃない!」
だったのです。

結局、両親は離婚をしました。
そしてまだ未熟だった私は
何も力になれず
母と一緒に母の実家に
逃げることしかできませんでした。

自分の無力さを感じる日々を
何年も過ごしました。

自営業なんてしても良いことはない、、、
良い時はすごく良かったけど、
浮き沈みがあって、
結局大変なだけ、、、

そんな風にずっと思っていました。

2、恩返しがしたい

そしてそんな私は
数年たって結婚しました。

転勤族の旦那さんと各地に住みました。
知らない土地での暮らしは、
これまた山あり谷ありです。

だけど離れて暮らしている親に
心配をかける訳にはいきません。
お互い離れていても、
しっかり生きなきゃと
思いながら見知らぬ土地で
必死に暮らしていました。

そして私は家族も増え、
いつの間にか気がつけば

旅をしてるみたいに
転勤生活を楽しんで生きていたのです。

その土地の美しい景色や
美味しいご飯。
沢山の方々に出会えて
色々な考え方や生き方に触れ、
本当に元気や勇気を
沢山もらって今の自分がいます。

子供達が小さかった時、
近所のおばちゃんが
お庭からアスパラをポキッと折って
子供達にくれました。

大家さんのさくらんぼの木から
子供達が沢山さくらんぼ収穫して
食べ放題食べさせてくれました。

友達が地元の景色の良いところに
沢山ドライブに連れて行ってくれました。

自然の美味しい空気や、
空が広くて青い景色。

子供達がのびのび成長できたのも、
沢山の方々との関わりや暮らしのおかげ。

いつかまた会いたい。

できれば直接、無理なら
間接的にでもいいから
何かできる恩返しはないかな。。

そんな事を思い、
自分にできることは何があるのか、、
考える日々でした。

そんなある日、
旦那さんが急に

「キッチンカーがやりたい」
と、言いだしました。

私は今まで散々拒否してきた
自営業なのにこの時は

心が反対どころか急にワクワク!

そして即「やりたい!」と
言ってしまいました。

ずっと自営業だけは嫌だと思って
生きていましたし、

自営業お断り!オーラを
ずっと出して生きていましたが、
これならいつか恩返しができるかもしれない。

感謝の気持ちを伝えるられるかもしれない。
そして何より自分が動く事が好きである。

動く自営業、、してみたい。
人生で初めて、夢ができました。

そうだ私は

おにぎり屋さんになりたい!!

では、
なんでおにぎり屋さんなのか、、

それは話すと長くなるので、
こちらから↓


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