見出し画像

2022年末から2023年明けにアスペの姉と過ごした5日間について書いておこうと思う その①

2022年12月29日の午後1時に、家から車で15分ほどの障害者さんのグループホーム(2LDKの普通のアパート)へ姉を迎えに行ったら「まだ準備中、3時じゃないよぉ」ときっぱり拒絶されて、姉がアスペルガー症候群であることも姉という人のその特性もよく知っている私は「わかった、じゃあ3時ね」とあっさり引き下がって、地元でチェーン展開しているまぁまぁ大きめの、でもいつも行く近所のスーパーではないので商品の配置がよくわからず、姉のための飲みきりサイズのストロー付きのジュースを探してうろうろする羽目になった。
3時頃に迎えに行くので伝えておいてください、とグループホームのサービス管理責任者さんにSNSで連絡しておきながら、少しでも早く迎えに行ったら喜ぶかな、などと思って勝手に早く行ったのは私だもの、私が悪い。

「今年の年末年始はみーちゃんの家で過ごしたい。一人は淋しい」という内容の手紙は2通届いていたし、12月頭の通院の付き添いの時に直接言われてもいた。
その前の年末は父が急逝して、翌日だったら斎場に空きがあるなどと葬儀屋に急かされたけれど、別れはきちんとしたかったし姉もそうだと思ったので、葬儀は年明けにすることにして、エンバーミング処置を選択した。まるで眠っているだけのような顔の父を囲んで、それ以外の細かいことは思い出そうとしても何も思い出せないのだけれど、姉、私、私の娘息子たちとでわりと賑やかに(父の良く吠える愛犬もいたし)過ごしたのだった。

師走、仕事がMAXの一歩手前位に忙しかった。(MAXは1か月くらい休みなしでその間の10日くらいは深夜日付が変わっても仕事という時期だったと記憶している)MAXの一歩手前を簡単に説明すると10日間休みなしで1日12時間くらい重要な仕事があって、その仕事のためにその前10日間くらいもほぼ同じ状況だった。
そして、仕事納めの翌日、姉が待っているだろうと思って約束より少し早めに迎えに行ったのだが断られて、仕事用スマホも読みかけの本も持ってきていなかったから、わりとどうでもいい買い物をし、ツイッターを眺めても余った時間でツイートを2件して何とか2時間近くを消費して、午後3時に再び姉を迎えに行ったら、20ℓのビニール袋に詰めた生渇きの着替え(その日の午前中は決められた洗濯日だったのだ)と、ゲーム機や電子辞書や日記帳やその他諸々を詰めたバッグ2個を玄関にどっさり準備した姉が待っていた。

今日から5日間、姉のまぁちゃんと一緒。
生まれてこの方、同じ屋根の下にいたことはもちろんあるけれど、5日間も毎食一緒に食卓を囲んで、一緒にテレビを見て過ごすのは、半世紀ぶりのことなのだった。そして、こんな日が来ることを、半世紀の間、私は一度も想像すらしたことがなかったのだと気づいて、一瞬、軽く息を飲んで、刹那、悲しみに襲われていた。

時間が傷を忘れさせてくれるのは未来がたくさんあることを疑わずに前を見て生きているときであって、圧倒的に過去という時間が増えてしまったことに気づいた頃から、時の経過には恐怖も含んでいる。
辛いな、誰かと比べたらたいしたことない辛さなのはわかっているけど、辛いな、と思う。

家に着いたらまず洗濯物を干してバッグの中身の整理だな。と考えながら、「今日は、まぁちゃんの好きなハンバーグだよ」
と運転しながら声をかけた。
「おぉ!ハンバーグ!」姉が子どもみたいに喜んでいる。
おばちゃんが好きなものを作らなくちゃと姪っ子である長女が土井先生レシピの煮込みハンバーグと付け合わせの野菜のピュレを作って待っている。




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?