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定年退職ってものをしたら仕事は何一つ変わらなかったという現実

2023年4月に定年退職をした。
夢に見た定年退職。すてきな響き、て・い・ね・ん・た・い・しょ・く💖
だけどね、これが大失敗よ。
立場を譲った人が辞めちゃったの。大変だもんね。そりゃさ、仕事は大変。当たり前かどうかはわからないけど。

仕事ってのはね。気配り目配り指示に労い明るい笑顔に言い回しの工夫…
それらを職員10人いたら10人に合わせて適切な場とタイミングで発揮するの。
仕事が少しでもうまく行くように。何事もなくそれでいて関わるみんなが多少でも成長とやりがいを感じてがんばれるように。やるしかないの。
だって、人間を教育する仕事をしてるから。人間を教育する立場にいる人たちが機嫌よくやりがいを感じながら職場にいないと、仕事がうまくいかないから。ぼんやりしてる(ふりをすることはあるけど)時間はないの。当たり前かどうかわからないけど。

毎日もう大変だよ。特にね、この12年はね。
震災からの原発事故があって、関わるたくさんの人間の命と生活を守りながら成長を担保するのが仕事だからさ。手も気も抜くわけにいかないのよ。
目の前にもっとやった方がいいこと、もっと工夫できること、たくさんあるんだもん。やらなくても別に構わないし、実際、大多数の同業者はほぼ何も考えていなかったし、考えていても本質からずれてたと思う。
毎年同じことを繰り返していれば計画も同じだから楽だしね。

一例挙げるね。
放射線被ばくが心配で毎年やってた芋掘りに行けない。土も作物も汚染されてるからね。触れないから仕方ないよね。さて、ある園のトップはどうしたと思う?
当時ニュース番組で取り上げられたのはよく知ってる大手の園だった。
玄関スペースに置いた大きなコンテナみたいな入れ物に砂入れてどこかから持ってきた芋埋めて、芋掘り?芋探し?させてたの!
ええっ?って思って次に同業者として恥ずかしくなって、もう失笑するしかなかった。
芋掘りってどういった教育的な目的があってやるの?ってことよね。
芋と土がなきゃ教育ってできないの??
そんなわけないじゃん。

うちはいつもはやってないことをやることにしたの。
クラブ活動ってやつ。各担任が自分の得意なことをして同じくそれがやりたいと希望する子どもと一緒にとことん遊ぶ。いつもは教育要領をもとに立てた計画(年間指導計画→月案→週案→日案)で、学年やクラスごとに活動するんだけれど、やりたいことをやりたい子たちがクラスの枠を外して仲間になって遊ぶ。ワクワクするよね。それを週1やろうよって提案したら、先生たちが困ったの。得意なことないんだって。ワクワクして一緒に遊べる事ないんだって。「私指示待ちなんです」って堂々と言う先生もいたねぇ。当時30歳くらいの先生だったかなぁ。
考えることをしない人が多いのは、今に始まったことじゃないのよ。そして、そんな大人が子どもを教育してるの。もちろん全員じゃないよ。でもさ、一定数、いや、かなりの数いるんだよ。そういう先生が。いちゃだめなんだけどね。いるの。

そんでね、お料理やることにしたの。
クラスで話し合ってメニュー決めて、材料考えて、道具考えて、分担してお家の人にお話して準備して持ち寄って、子どもたちみんなで調理大会。
餃子にマフィンにチキンライスにピザにケーキだったかな。
ロールケーキは3歳児クラスがやったんだけど、ハンドミキサー使わせないで交代で手動で泡立てさせてみたの。男の子がしゃかりきがんばって泡立ててる隣で女の子が「すごーい!」って感動して目がハートになって、男の子が更にがんばっちゃったりとか、とろとろに泡立った生地を見て感嘆の声が上がったりとか、見ているこっちもおもしろくて、一緒にほんとに楽しい時間を共有したの。
10分もあれば焼けるから、ロールケーキにしたんだけど、これがほんとにふわふわじょうずに焼けて大感動。
ジャムを塗ってくるくる巻いて、切り分けてから、クリームもみんなで泡立てて絞って、それぞれが持ってきたデコレーション用のフルーツをたっぷり。もう、みんな大喜び。そしておいしかった。

園という社会環境で体験できることはたくさんあって、園だからできる経験をたくさんすること。それを援助指導する先生は、驚きも楽しいも失敗もやりなおすことも経験させるために考えて考えてやってみることをさぼっちゃいけないんだよ。
さぼると、社会情勢が変わってもとりあえず昨年と同じことを形だけやることがいいと思っちゃうんだろう。考えるのめんどくさいし疲れるしね。
考えないで繰り返していたら楽ちんなんだろう。それが芋探し?になったんだろうな。

でも、それができないんだな。私。だって、教育を受ける子どもとその子が存在する環境全て何ひとつも社会情勢もその日の空の色も、前の年と同じことは何もないんだよ?
それなのに、同じがマストなわけないじゃん!って思っちゃう。
新しい教材もどんどん出て来るから、何がどう必要かも考えなきゃいけないし、継続して教えていかなきゃならないことあるし。
これができないなら、やっちゃいけないなら、別のことを考えようって思わなきゃ、人間生きていけないよね。そして、これがやっちゃいけなくなったから、いい教育ができない、なんてこともないと思う。全てはものの見方と考え方、そしてやってみることじゃないかな。

原発事故の被害は目に見えない放射線だった。
見えないからこそ、数値を知りたかった。数値を知れば、考えることができるから。でも、そこらじゅうで国から依頼されたと思われる人たちが、ごついガイガーカウンターで放射線の数値を計っているのを目にしても、教育機関にさえ数値は教えてもらえなかったのだから、身を守る手段も、方法も、教育の方法も全部全部、自分で情報収集してチョイスして考えなきゃならなかったのよ。
仕事から帰って毎晩毎晩、パソコンとにらめっこして、放射線測定器を手に入れたのは5月の連休前だったかな。これで、子どもたちを守れる!本当に嬉しかったな。
実は1度目は詐欺に合って8万(自腹よ)払ったけどモノは送られて来なかった。詐欺かも、って思いながらポチっとやったのよ。手に入れるためならそうするしかなかったもの。2度目にやっと手に入れて(これも自腹よ)数値でどこが危険でどこが比較的安全なのか知ることができるようになったの。

市だったか県だったか忘れたけど、そっちから放射線測定器が貸与されたのはずっと後よ。幼稚園協会から支給されたのも同じく後。
数値を知らなくてどうやって子どもを守る?国なんて信用できない。
「直ちに健康に被害はない…」ってTVで繰り返すの聞いてて、有名なアニメ「風が吹くとき」を思い出してた。こうやって殺されるのかぁって腑に落ちて納得したわね。それでも「風が吹くとき」が話題にも上らなかったのは、何か情報操作があったんだろうなぁと思ったわね。あれは当時の状況にピッタリ過ぎたもの。

で、その後のコロナ騒ぎでしょ?
そんなこんなでその間12年!私還暦越えよ。
家族も何もかも後回しにして来たの。バカみたいって思うわよねぇ。父親がコロナのワクチン後に体調崩して亡くなった時も葬式の日1日しか仕事休んでないのよ。バカみたい。ほんとに。
ほんとはね、仕事なんか辞めてもっとそばにいたかったし、葬式のあとのなんだかんだもゆっくり整理したかった。気持ちの整理もね。
だからね、まだつかないのよ。気持ちもモノの整理も。
父が亡くなって2年になるって言うのにね。
だから憧れたの。定年退職に。そして、失敗したの。

だから今も朝7時半から夕方6時まで昼食食べる10分以外は立ち働いて、形は定年退職したから給料は半分になって、有給休暇も残業代ももらえない立場も変わらなくて(労務センターの人に言われた)それでも働かなきゃならないの。
辞表出したいけど、出す相手がいないのよ。

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