これから通用しなくなる2つの「笑いのとり方」
人を笑顔にするのって、めっちゃ気持ちいいですよね。僕は可能な限り気持ちよくなりたいので、毎日いろいろと試行錯誤しているのですが、そうした中で気づいた点があるのでメモっておきたいと思います。
先に結論からお伝えしておくと「笑いは他者を頼らずに、自分だけで完結させないとダメ、絶対」ということです。こういった笑いの取り方をしないと、この先コミュニケーションが厳しくなるだろうな〜とも思ってます。
早速見ていきましょう!
登場人物から見る「笑いの種類」
まずはじめにお伝えしたいことは、このnoteでメモるのは「どうやって笑いをとるのか」ではなく、「どのような笑いのとり方をしてはいけないか」です。
「どうやって笑いをとるのか」は、人によってツボが違ったり、信頼関係やその時の環境など様々な不確定要素が大きく、何より正直僕がよくわかってないので書けないのです…。
ですが、「どのような笑いのとり方をしてはいけないか」は、誰しもが共有できることかなあと考えています。
①あるべき「笑いのとりかた」
まずはこの図をみてください。黒枠の中にいるのが自分で、白枠にいるのがあなたを囲む人々。6人グループで話していると想像していただけるとありがたいです。
この図ではあなたが他者を挟まず、自分自身をいじったり、オチのある話をしてみんなを笑わせています。僕は、これがあるべき「笑いのとりかた」だと考えています。
では、この「あるべき姿」ではない笑いのとりかたとはなんなのか。それは「相手をイジる」「第三者にツッコませる」の2つだと考えています。
②人をイジらない
これはもうそのままです。「イジる」という行為に関しては、ここ数年パワハラやモラハラなどの言葉が浸透して行った結果、以前より社会が敏感になったと感じています。
じゃあ、「自分は人をイジって笑いをとっていないか?」と考えたら、いかがでしょうか? 僕は、本当に恥ずかしい話なのですが……100%ないとは言えません……。
なんで人をイジってしまうのかな、と考えたんですが、原因は「イジった相手が嫌な顔してなかったから」にあるのではないかと考えています。
でも、イジった相手が本当に嫌がってないかどうかなんて、本当にわかるのでしょうか。世の中にはイジられても「空気が悪くなるから」と表情に出さない、心の優しい人たちがたくさんいます。そういった人たちの善意を踏み台にした「笑い」なんていらないですよね。
また、前述したように、今はイジることに対して社会は敏感になっているので、人をイジって笑いをとると下記のような現象が起きると思います。
つまり、イジられた人だけでなく、そのイジりを見ていた人も不快感を感じるようになっています。
僕はお笑いが好きで、毎年M1を楽しみにしているのですが、そのM1の結果からもその風潮を強く感じています。
2015年に優勝したトレンディエンジェルは、がっつり容姿をイジるネタで優勝を果たしました。一方、2018年に同じく容姿をがっつりイジるネタを披露したギャロップは、10組中8位に終わりました。
もちろん、ネタの精度やその時のお客さんとの相性など、様々な要素があることは重々承知しているのですが、僕にはギャロップのネタのクオリティはトレンディエンジェルと同じくらい素晴らしかったと思っています。
つまり、ここ数年で人々の「イジる笑い」に対する意識が変わってきている。しかもここ2〜3年で急速に。というのが僕の仮説です。
きっと現在進進行形でさらに人々の意識は急速に変化していて、きっと「イジって笑いをとる」=「ダサい」という認識になると思っています。だからもう人をイジって笑いをとるのはやめたほうがいいんじゃないか〜と思ってます!
③第三者にツッコませない
まずはこのイラストの説明をいたしますね。ここでは、「自分」は①さんを直接イジっているわけではありません。ここでは①さんに対して、「自分」と②さんだけの共通言語を投げかけています。
ちょっとわかりにくいですいね。具体的に説明します。
「自分」と②さんは今年30代半ばの会社の同僚だとします。お互いに漫画が好きで、「スラムダンク」が大好き。
一方①さんは今年22歳の新卒で、漫画に疎く「スラムダンク」を読んだことがありません。(「いや、マジで最高だからスラムダンクは全人類に読んで欲しい!!」ということはひとまず置いといてください)
ここで、納期が迫り焦りながら仕事をしている①さんに対して「自分」が、仙道彰の真似をしながら「まだあわてるような時間じゃない」と声をかけます。
そうすると①さんは、意味がわからないので「?」となります。が、先輩から声をかけられたので「なんとか返さなきゃ」と思い、苦笑いを浮かべます。そこに、②さんが「いや、仙道彰ww」とツッコみを入れて周りが笑います。これが第三者にツッコませる笑いです。
この笑いのとりかたには、とても厄介な問題があります。それは、「自分」や②さん、そして周りの人たちも①さんが嫌な思いをしていることに気がつきにくい、という点です。
直接イジっているわけではないので、わかりにくいんですよね。①さんの容姿や行動を揶揄しているとわかりやすいのですが。さらに、ツッコんだ②さんも、自分が加害者側になっていることに気がつきにくく、周りの人たちも①さんの我慢の上にその笑いが成り立っていることを認識できないのです。
ですが、やっぱり誰かが嫌な思いをしてとる笑いはもうダサいと思うんです。今はまだこの笑いのとり方について、それほど厳しく見ている人は多くないと思っているのですが、ここ数年で、急速に人々の「イジる笑い」に対する意識が変わってきているので、この「第三者にツッコませる笑い」もこの先必ず取り締まられる、と考えています。
▲「自分」と②さん以外笑ってない、という状況も生まれてくるはず
さらにいうと、この「第三者にツッコませる笑い」は、今よく言われている「心理的安全性」を損なう可能性が非常に高いです。
心理的安全性とは、自分の言動が他者に与える影響を強く意識することなく感じたままの想いを素直に伝えることのできる環境や雰囲気のことです。
人間、嫌なことをされた人には嫌なイメージしか残りませんよね。そんな人に対して、自分の素直な気持ちを相談するなんてありえません。なので、心理的安全性の高い組織作りを目指す管理職の方々は、特にこの「第三者にツッコませる笑い」について注意したほうがいいんじゃないかな〜と考えています。
▲心理的安全性の重要さについてはこの本がわかりやすいかと
じゃあ、どうやって笑いをとればいいの? となるのですが、これに関して冒頭に書いた「他者を頼らずに、自分だけで完結させる」に尽きると思います。そのためには、意識高く言うと、「自分自身の笑いのクリエイティブを高める」しかないと思います。
その笑いのクリエイティブを高めるために必要なのが、「教養」や「センス」と呼ばれるもののような気がしています。難しいですね。ここらへん今絶賛考え中なので、何かご意見ありましたらもらえると嬉しいです!
記事にスキをもらえると、スキになります。