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泣きながらヒマラヤの山を登って気づいたこと

1年前の今日、私は泣きながら、チベットの標高5668mの峠を歩いていた。

現地の人いわく「軽いトレッキング程度」。
でも実際には、そこは、ガチ雪山だった。
日本だったら、完全にアイゼンが必要なクラス。

去年のGWは10連休。いま行くしかない!と前のめりで挑んだものの…
このガッツリ雪が積もった斜面を、あんな高いとこまで登るのか。できるのか私。
絶望した気持ちで、ただただ一歩を踏み出した。

世界一の聖域「カイラス」

そこは、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教の聖地「カイラス山」。
世界一の聖域で最強のパワースポットだと言われる。

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チベット人は、カイラスの周囲50キロの道を、3日かけて五体投地でコルラ(巡礼)する。
五体投地というのは、チベット仏教の最上級の礼拝の仕方で、
1回拝んでは地面に身を投げ出し、両手で地面をひとかきして半身分進んでまた立ち上がり、また1回拝んで地面に身を投げ出し…を繰り返す。
描写が難しいけれど、簡単に言うと、シャクトリムシが歩いてるみたいな感じ(チベットの皆さん、ごめんなさい)。

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私達は、五体投地はしないけれど
徒歩で、途中2回、巡礼者に混じって宿坊に泊まりながら、
3日間かけて50キロを巡礼する計画。
チベット人からすれば、確かに「徒歩」=「軽いトレッキング」なんだろう。
今日はその2日目で、巡礼路で一番の峠「ドルマ・ラ」越えだった。

チベット人最強

5000mを超える標高は、空気が薄い。少しの傾斜でも息が切れる。
一歩を踏み出すのが苦しい。
途中、チベットの巡礼者たちにスイスイ追い抜かされる(五体投地ではなく、「トレッキング巡礼(勝手に命名)」している人たちもいる)。

すごく寒いのに、チベット人たちはものすごい軽装。
しかも普通の(むしろチンケな)スニーカー。
息切れなんて全然してない。
「荷物持っていってあげるよ、貸してみな」とか笑顔で言う。
私は小屋で使う寝袋とか防寒具とかカメラとか持ってるから、結構な荷物。
持ってもらったところで全く追いつける気がしないので断る。
ヒマラヤのシェルパもこんな感じなのかな。

途中で、ライチョウに遭遇。日本だったら大騒ぎじゃん。こんな普通に寄ってくるもの…?

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もう一歩、もう一歩、もう一歩

カイラス巡礼路の一番の高所、ドルマ・ラ(峠)までの標高差は、1000m位。
見上げると、その遠さに絶望的な気持ちになった。
呼吸が苦しい。一歩踏み出すごとに息切れがする。辛い。
実はその2カ月半前に足首を骨折して、左脚の筋力も完全ではなかった。
もう半ベソだった。てか、泣いていた。
辛くて泣くって、なかなかない。
でもこの一歩を繰り返せば、必ず着く。
この一歩が、確実にてっぺんに連れて行ってくれる。

一歩、一歩、一歩…
ずっとそればかり考えていた。

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標高5668m、ドルマ・ラ(峠)

雪が舞う斜面を抜けたら…ドルマ・ラ。
標高5668m。今までに経験したことのない一番高い場所。

事前にネットで見ていた写真では、雪がない時期で、
タルチョっていう五色の旗が大量にはためいていた。

けど、いま目の前に現れたドルマ・ラは、
タルチョは、雪に埋もれてぐっしゃぐしゃ。
全く絵にならない風景だった笑。

だけどそこには、「やりきった」という達成感と同時に
頭を、気持ちを、全てを、すごくクリアにしてくれるパワーがあった。

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峠を登り切って見えたもの

30代後半を迎えてから、自分はこれでいいのかというモヤモヤが、いつもココロのどこかにあった。
未来を考えると、焦る。過去を振り返ると、間違ったんじゃないかとまた焦る。

長い雪の斜面を自力で乗り越えて、その瞬間、
ココロのモヤモヤと、リンクした。

いいじゃん。なんだって。
今日ここでこんな経験ができたんだから、これまでの生き方は間違ってない。どこか、きっと私だけの正解にたどり着く。

今も、ちょっと迷いが出そうなことがあったり、シゴトで厳しい局面にあたったりすると、あのカイラスの雪道を思い出す。目の前の一歩を繰り返すことをやめなければ、きっとクリアできる。

…そして。もうひとつ。ドルマ・ラに着いて、新しく見えたもの。
すぐ先には、登りと同じだけの下り坂、しかも今度は、凍った岩場が待ち受けていたということ。

上り坂も困難だけど、下り坂も困難。
山も、シゴトも、人生も。
安泰なんて、頂上にいるたったの一瞬だ。ちーん。


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